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『夢見月夜曲』は日高千湖のオリジナルBL小説ブログです。

T・1

 薄暗い店内は、奇妙な高揚感に満ちていた。天井からぶら下がる豪華なシャンデリアの煌きは男たちの脂ぎった顔を弾き、昂ぶった心を尚更に燻りだす。

 店内のざわめきの元は客同士の話しが弾んでいるからではない。時折、グラスが触れる音やボーイが歩き回る気配がする。彼らの足音は毛の長い深紅の絨毯に吸い込まれ、ステージの下に置かれたピアノの前では燕尾服を着た美形の若い男が軽やかにショパンを弾いている。なかなかの腕前だが、ここに集まった者の目的は彼の演奏ではない。むしろ、客の視線は彼の美貌に集中している。

扇形の店の奥に設置された半円形のステージに向いた客席は、全てハイブランドの一人用のゆったりとしたソファーだ。座席の前後左右は、優雅に羽を広げる白鳥を刻んだガラス製のパーテーションで仕切られている。

客同士が互いに、『誰』と認識出来ないように入店する時から細心の注意が払われ、席に案内されるシステムだ。

 誰かの咳払い、誰かの携帯電話のバイブの音。普通の生活音だが、普通ではない。どこか期待感の籠もった音に包まれた店内は静かだが、人々の胸の高鳴りが聞こえてきそうなくらいに沸騰していた。

不可思議な空気が流れ、澱んでいる。それは案内されて来る客やドリンクを運ぶボーイたちの動きによって掻き回されるが、それらが消え去る事はない。


 古代ローマの円形劇場のように、客席は階段状になっている。ステージにはまだ深紅の幕が下りているが、カーテンの手前にはポールダンス用のポールが立てられていた。

 客は皆、オートクチュールで誂えたスーツと高級腕時計で身を飾り紳士然としていたが、上辺の皮を剥げばその下は同じ人間。これからステージで行われる演目への高揚感は抑えきれないらしい。


「若、もうすぐ始まります」

槌屋は腕時計で時間を確認して、ソファーで寛ぐ主に告げた。

「ああ、わかっている。槌屋はもう下がっていいぞ」

客席の最後尾列は更に一段高くなっていて、下段の客席からはそこに座っている客の顔を見る事は出来ない。この席に座れる者は、大物政治家や大企業の経営者、外国の要人といったVIP中のVIPだけだ。

その席にどっしりと腰を下ろした河野組若頭・河野大成は、長い足を優雅に組み直した。黒いスーツに濃い紫色のネクタイ。男らしい眉と意志の強そうなキリッとした目元。端整な顔立ちは薄暗い店の中でも目を惹く。

パッと見は、外資系金融マンか青年実業家のような風貌だが、その眼光は鋭い。今日は顔を隠す為に掛けたメタルフレームの伊達メガネが、尚更彼を理知的に見せていた。

「それは出来ません」

「槌屋。ドアの外で警護しろって言ってんだよ」

「若のお傍におりますのが、私の最も重要な仕事ですから」

前から銃で狙われれば、さすがの河野もお手上げだ。盾になる存在の自分がこの場を譲る事は出来ないと、槌屋は主張した。

下段の客が立ち上がって振り返れば、背後に立つ長身の槌屋の顔が丸見えになってしまう。それくらいの事がわからない槌屋ではないはずなのだが、と河野は可笑しくなった。

「わかった。わかったから、座れ。外には飯坂がいるんだ、心配するな」

最上段のVIP席のソファーは大人3人が悠々と座れる広さがあるから、男2人が並んで座っても十分なスペースが残るはずだ。河野が身体を浮かしソファーの空いた所を叩くが、槌屋は仏頂面を崩す事無く黙って頭を下げた。

「申し訳ございませんが、それだけは致しかねます」

「じゃあ、床で体育座り」

「いえ。それでは不測の事態に反応出来ませんから」

「じゃあ、中腰」

「はっ」

槌屋は周囲の状況が見えなくなってしまう体操座りよりはマシだとばかりに、腰を曲げて中腰の姿勢を取った。それを見た河野は、くっ、と声を押し殺して笑った。

「バカ」

「申し訳ございません」

実直過ぎて面白味がない、というのが組での槌屋の評価だが、河野はそれなりにからかい甲斐があると思っている。

「下の客からお前の顔が丸見えだろうが。この店のシステム、知ってるよな?途中で退席するヤツが、俺がここに居ると気付くのは拙いんだよ。お前、無駄に目立つから」

叱責されたと思ったのか、槌屋は慌てて「若、申し訳ございません」と声を張って頭を下げた。河野は迷惑そうに顔を顰めてみせる。それを見た槌屋は、土下座でもしそうな勢いで腰を90度から更に深く曲げた。

「声、デカイ」

「はっ」

「いいから、ここ。座れ」

槌屋は、河野が指すソファーを恨めしく思いながらも覚悟を決めた。確かに、下の客に河野が来ていると知られるのは困るのだ。

「・・・では、失礼致します」

槌屋は再び深々と頭を下げ、申し訳なさそうに河野の隣に浅く座った。

隣と言っても、槌屋が座ったのはソファーの一番端っこだ。大きな身体を小さくして畏まって座っている槌屋の姿は、端から見れば滑稽だが、本人にしてみれば冷や汗ものだ。

槌屋の隣に悠々と座る人物は、関東一円を牛耳る『河野組』のナンバー2・河野大成。

河野にしてみればなんという事もないのではあるが、これを組関係者に知られればどんな叱責が待っているかわからない。槌屋は背筋を伝う汗を河野に覚らせまいと、必死だった。それというものも、河野が匂いに敏感だからだ。

「槌屋」

「はい」

「気に入った子がいたら、消えても構わんぞ」

「ご冗談でしょう」

「冗談だよ。おっ勃てんじゃねえぞ」

「はっ」

開演5分前。ピアノの演奏が終わり、男性ピアニストが立ち上がって優雅に一礼すると脇に捌けていく。照明が更に落とされ、店内を回ってオーダーを聞いていたボーイたちが壁際に移動して、店内の動きが止まった。


 舞台にはタキシードを着た若い男性が現れた。深紅の幕は下りたままだ。深紅の幕の左右にライトが当たり、そのライトは左右に優雅な白鳥の姿を映し出した。

「彼もかなりの美形だな」

河野は舞台の真ん中に立つ男性を指差した。若手人気俳優だ、人気モデルだと紹介されれば誰もが疑うまい。彼の顔立ちはエキゾチックで、切れ長の瞳は黒曜石のような輝きを持っている。

「はい」

店内の異様な空気に冒されまいと、槌屋は周囲を見回して怪しい者が潜んでいないか、と河野の警護に神経を集中させた。


 今、トレーを小脇に抱えて店内の隅に控えている若いボーイたちも皆、なかなかの美形揃いだ。いや、店のスタッフ全員が際立った容姿をしている、と言っても過言ではない。その中でも舞台に立った青年の容貌は、黒いタキシードに映えて一際美しかった。ただ一つ違うのは、彼がボーイたちと比べると10歳程歳が上のようだという事。

タキシードの若い男は、27,8歳というところだろうか。壁際に並ぶボーイたちは、明らかに10代の少年たちだ。

 スポットライトを浴びた彼は、舞台の中央に立ち口上を述べ始めた。店のそこかしこから、溜息が漏れる。中には興奮気味にいつまでも拍手を繰り返す野暮な紳士もいたが、彼がそれへと視線を投げ掛けると、漸く周囲の静寂を察した男が拍手を止めた。

「本日は《SWAN》にご来店頂き、誠にありがとうございます。本日は当店のナンバーワン『T』によりますポールダンスをお目に掛ける予定でございます。最後までごゆっくりとお楽しみください」

『T』と聞き、店内の客たちからは溜息とも、感嘆とも取れる吐息が漏れた。『T』という名の効果の余韻を感じて微笑んだ青年は、その余韻を砕くかのように指をパチンと鳴らした。

「まずは、可愛らしい少年たちのダンスからお楽しみください」

非常口と小さく書かれたドアから男性ばかりの楽団が現れ、先程のピアノを弾いていた青年が再び姿を現した。彼は愛想笑いを浮かべて一礼し、ピアノの前に座った。指揮者の姿はないが、バイオリンの男がリズムをとって演奏が始まった。

「剣の舞」だ。軽快なピアノの音を中心にバイオリンと管楽器だけの小さなオーケストラ。だが、ピアノを弾く青年の力量は確かなものだ。

「幕が開くぞ」

「はっ」

隣とはいえないくらい遠くに腰掛けた槌屋の緊張を感じながら、河野は舞台には興味なさそうにワイングラスを口元に運んだ。


 深紅の幕がゆっくりと左右に開くと、中央に3人の少年が並んで立っていた。少年たちはギリシャ神話のナルキッソスのように薄布を腰に巻いただけの格好だ。彼らの、花開く前の可憐さを湛えた瑞々しい容姿に、客席から感嘆の声が零れる。吐息のような息の漏れる音、興奮した息遣いがあちらこちらから聞こえてくる。

彼らは幕が開くと演奏に合わせて、赤いシルクの紐を持って舞い始めた。だがそれは、お世辞にもプロの踊りとは言えないレベルのダンスだった。

3人が代わる代わるジャンプしたり、大きく足を広げてステップを踏む。薄布の下にはアンダーウェアを穿いていない。少年たちの可愛らしい局部が薄布の下でユラリと揺れる。時には桃のような丸い尻が露わになるが、彼らはそれを恥ずかしいとも思っていないようだ。

むしろ、彼らはそれを客に見せ付けるようにして腰を振る。

 すると誰からともなく手が上がり、壁に張り付くようにして立っていたボーイたちが動き始めた。河野がいる最上段の席からは、彼らの動きがよくわかる。客が手を上げると、近くにいるボーイが箱を持って行く。客は箱の中に何か入れているようだ。

「入札が始まったようだな」

「そのようですね」

「『T』の入札価格の平均はいくらだ?」

「ここのところ、連日中国人が落札しているようです。30万から50万と聞きましたが」

「そうか。一晩でそれだけ稼げれば大したものだな」

「はい」

5分程で『剣の舞』の演奏が終わり、3人の少年が微笑みながら下手へとはけて行き、入れ替わりに上手からは軍服を着た2人の少年が現れた。演奏は『剣の舞』から『ボレロ』へと変わる。

「今度はさっきのガキよりも年上のようだな。だが、ボレロを踊るのは早過ぎるだろう」

少年たちは軍服のままで音楽に合わせて踊り始めた。こちらは先程の少年たちよりはいくらか上手く踊れるようだ。「踊れる」と言ってもダンスの素養があるとは思えないが、すんなりと伸びた手足を使ってそれなりの見物にはなっている。彼らのダンスがはじまってしばらくすると、片方の少年がもう片方の軍服を脱がし始めた。

一枚、一枚、彼らは踊りながらリズムに合わせて服を脱がし合っているのだ。片方が四つん這いになり、もう片方がその背中に片足を乗せると、客に股間を見せ付けるようにしてズボンのファスナーを下ろす。四つん這いになった少年は、恍惚とした表情を浮かべて、ポールダンス用のポールに縋って舌を出して見せる。

客席からは次々に手が上がり、ボーイたちは忙しそうに客席を回っていた。

「若」

「なんだ?」

「客が移動し始めました」

「そうか」

階下の客が、ホールボーイに導かれてそっと席を立っているのが見える。

「さっきの『剣の舞』の3人か」

「そのようです」

3人の客が席を立ち、ボーイに連れられていく。

「このお遊戯会はどれくらい続くんだ?」

「1時間ほど」

「楽しいもんじゃねえな」

河野は声を極力落として呟く。

「まだ子どもじゃねえか」

「そういう趣味の方も多くおられるようで。一番端のVIP席には、現職の国会議員もいます」

「誰だ?」

「橋詰徹平議員です」

「そうか。飯坂にワインを届けさせるように伝えろ」

「はい」

「それから、担当のガキに『T』の入札が始まったら必ず俺に落とさせるように手配しろ」

「畏まりました」

漸く河野の隣に座るという苦行から解放された槌屋が、ホッとしたような表情を浮かべながら立ち上がってドアの外へと出て行く。ドアが閉まる音を聞きながら河野は『ボレロ』の演奏が終わり、轟くような激しいロックに変わったのを楽しんでいた。

*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

さて、先日の投票で38票を頂きました、河野大成です(笑)彼、ほんのチョイ役なんですがヤクザスキーさんが結構いらっしゃるんだなあ~なんて思ってました。そしたら、なぜか降ってきたんですよね、河野くんが(笑)SSというにはちょっと長いのですが、しばらくお付き合いくださいませ。ちなみに、日高の小さな脳ミソ内の極道さんですから、全て『なんちゃって』だと思って読んでくださいませね。本格的な物は書けませんですwww←宣言しやがったwww

彼が《SWAN》へ来た目的は何?って感じでお楽しみに♪

★『体育座り』って、以前もどこかで出てきたような・・・?「体育座り」、「体操座り」、「三角座り」、「安座」とか、地方によって言い方が違ってたなあ、と思い出しググッた次第です。皆さんのお住まいの地方ではどれが主流でしょうかね?全国的に『体育座り』が多いようですので、ここでは『体育座り』採用しました。

   日高千湖

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T・2

 程なくして戻って来た槌屋は、「失礼します」と頭を下げてから河野の座るソファーの隅に腰掛けた。

「首尾は?」

「仰せの通りに」

「そうか」

伴奏がピアノの生演奏からCDに変わったのは、ピアノを演奏していた青年ピアニストが落札されたからだ。ホールにいたボーイも一人消えた。

そして今、耳をつんざくようなロックの音楽に合わせて、男性アイドルのような笑顔でステージ上に立っているのはボンテージ風の丈の短いジャケットにショートパンツを穿いた少年たちだ。彼らが腰を大きく前後に振る姿を見て、興奮した客が立ち上がり指笛を吹いた。

「客は『T』だけが目的ではないようだな」

「ええ、そのようです。他の少年たちは『T』よりも安価ですからね。今日も例の中国人が来ているそうですから、それに気が付いた客はすでに『T』を諦めて他の少年に入札していると聞きました。その中国人は『T』に執着していて、来日すると毎晩通ってくるそうです。そいつが『T』の値段を吊り上げるので、他の客が落札出来ない状況が続いているとか。その男が落籍させて本国へ連れて行きたいと申し入れたそうですが、オーナーは『T』はパスポートを取得する条件を満たしていないからと、断ったそうです」

「そうか。金に糸目は付けない。いくらでもいいから、必ず落札しろ」

「わかっています。オーナーも『T』も例の中国人には辟易しているそうです。『T』を高額で落札して独占するのはいいが、無茶を言うし、『T』を誘拐しようと企てたり、かなり荒っぽいそうですから」

「落籍させるにはいくら必要だ?」

「オーナーは今のところ、全く手放す気はないそうです」

「だろうな」

『T』の少年としての旬が過ぎても、先程のピアニストのように需要があるという事だ。

「他の少年たちは5万から10万前後で取引されていますが、『T』は破格ですから」

「ふん」

河野はまだあどけない顔をした少年たちの、媚びたように白い尻を振る姿を見ながら彼らに同情を禁じ得ない。

「可哀想だな、全く」

「VIP席のボーイをしているやつらも、以前はあの少年たちのように舞台に立っていたそうです。薹(とう)が立って入札されなくなったり、身体を壊した者は他に働き口もありませんからね。皆、ここで雇われているそうです。ここで役に立たなくなれば、オーナーが所有している他の店の下働きとして働く事もあるようです。中には先程、口上を述べた青年のように司会を任されたりする者もいるようですから、『使い捨て』というわけではないようです」

「ほう。オーナーは意外と人情のわかったお人じゃないか?」

「ええ。まあ、やってる事は非情ですがね。現役を引退しているとはいえ、入札があればピアニストだろうがなんだろうが・・・」

「ははっ、ちゃっかりしてるな。それでも、ここのオーナーはまともな方だと思わないか?」

「はい」

槌屋はこの席を担当する青年を手懐ける為に、たっぷりと現金を握らせたらしい。槌屋はすでに、初めて訪れた店の内部事情にまで通じていた。真面目な槌屋の性格に脱帽しながら、河野はワインを呷った。

「パスポート、ね。正規のルートで出国は出来ない、ってわけか。じゃあ、今度こそ間違いないな」

「はい。私も、今度こそは間違いなくお探しの人物ではないかと思います」

槌屋も今度こそはと、手応えを感じているようだ。河野が捜している人物とよく似た生い立ちの少年が、《SWAN》にいるという情報を得たのは半月前。準備に手間取り、漸く今日という日を迎えた。

「とにかく、会ってみるしかないな」

「はい」

ボンテージ風の衣装の少年たちも、次々に落札されたようで激しいロックのリズムは唐突にフラメンコに変わった。

「まるでコスプレ学芸会だな」

河野が失笑すると、槌屋は自分が悪いわけでもないのに「申し訳ございません」と頭を下げた。

 フラメンコのリズムに合わせて出て来たのは、闘牛士風の衣装を着た5人の少年だ。闘牛士風とはいえ、彼らの身を包んでいるのは申し訳程度の赤いジャケットにピタッとしたパンツだ。可愛らしい股間の膨らみと小さな赤い胸の尖りが、客の視線を集めている。

彼らはフラメンコもどきを踊りながら、手に持った赤い布で自分や他の少年の身体を隠しながらしなを作る。河野はそれへは全く興味を見せずにワインのボトルに手を伸ばした。

槌屋が慌ててワインボトルを奪う。

「若、お注ぎします」

「お前も飲め」

「いえ、結構です」

「真面目過ぎるぞ。お前」

「はい、それだけが取り柄ですから」

「ははっ」

河野のグラスに赤いワインが注がれた。舞台上では赤い布がひらひらと舞っている。

「この後に『T』が登場します」

「『T』が最後じゃねえのか?」

「はい。『T』を競り落とせなかった連中が、その後に出演する少年やボーイたちを落札するそうです。『T』の出演後は、客の興奮度が高くて他の少年たちにも普段よりは高い値が付くそうです」

「ほう。どれ程のものか、見せてもらうか」

「はい」

フラメンコもどきを踊った少年たちにも買い手が付き、ボーイに連れられた客が出口からこっそりと出て行く。皆、昼間の紳士面を脱ぎ捨てて、目を爛々と輝かせているのが異様だ。フラメンコ組が下手にはけると、舞台は急に暗くなる。

 そして、スポットライトが当てられた奈落が競りあがってきた。そこには薄布を身体全体に巻き付けた、ミューズのような衣装を着た少年が丸くなっていた。

「T!」

河野の隣のVIP席の客が『T』と、名を叫ぶ。店全体の抑えきれない熱が噴出し、沸騰した空気に満ちた。隣の席の男は『T』の登場を更に盛り上げようと、「T!T!」と連呼した。それに合わせるかのように下の客たちが「T!」と声を張り上げる。

「T!」

「T!」

それを聞きながら、河野は眉をひそめた。演目が始まるまでは紳士然としていた彼らが、欲望をむき出しにして舞台上の『T』を注視していた。

「顔が見えねえな。布が邪魔だ」

そう言うと、槌屋はオペラグラスを取り出して河野に渡す。

「準備がいいじゃないか?」

「ありがとうございます」

静かなピアノの音色に合わせて、『T』はゆっくりと薄布から手を出した。すんなりと伸びた長い腕には、金のバングルがいくつもはめられている。彼が腕を動かす度にバングルがガシャガシャと音を立てるのが興醒めだ、とは思わないのかと河野は首を振った。

薄布は身体に巻き付けてあるのではなく、シーツのような大きな布の両端を『T』が持ち身体に巻いているだけだった。ゆっくりと立ち上がった彼は、正面を向き胸に手を添えると胸を突き出すようにして優雅に腰を折った。

まるで白鳥のようなお辞儀は、洗練されているわけでもなく、粗野でも無粋でもない。まだ成長途中の未熟な逸品というのが、河野の第一印象だった。『T』が顔を上げた瞬間。河野は息を飲んだ。

オペラグラスを通してみる彼は、これまで『美しい』と形容される人間を何百と見てきた河野が絶句するほどの容貌だったのだ。『美しい』という安易な言葉では、彼の容姿を語り尽くせない、と河野は思った。

夜の街を闊歩すれば、彼の気を惹こうと袖を引く美女は数多いる。彼が声を掛ければ「どこへでも参ります」と言うモデルや女優は、両手の指でも足りない。それは女に限った話しではない。

「あれでは、中国人も執着するよな」

「ええ。橋詰議員の目的も『T』だと聞きました」

「ははっ。議員さんも悔しがるだろうな。だが、今夜は中国人が来ているから早々に諦めたか?」

「後程、ご報告致します」

「あははっ」

今、自分が笑っているのは、『T』を見た衝撃からだろうか。舞台で踊る『T』の顔をオペラグラス越しに凝視していた河野と、『T』の目が合う。その瞬間、河野はマズイものを見てしまったかのようにオペラグラスを外した。

「・・・っ」

あの少年と、真っ向から目を合わせる時を思うと空恐ろしくなる。今すぐにでも舞台まで駆けていって、彼に向けられるイヤらしい視線を払い除けてしまいたいような感情に襲われたからだ。

「若、どうかなさいましたか?」

「いや。オペラグラスには慣れないからな」

こんな感情は、知らない。自分のオトコでもないのに、嫉妬を覚えるとは・・・。

「照準が合っておりませんでしたか?」

「いや、大丈夫」

河野はオペラグラスをテーブルに放り投げた。槌屋は、自分が持参したオペラグラスで河野の機嫌を損じたかと慌てる。

「申し訳ございません、若」

「大丈夫だ。気にするな」

『T』は薄布を纏ったまま前に出て裾をたくし上げると、ポールに捉まって上半身を大きく反らす。彼の胸元が露わになり、愛らしいサクランボのような乳首が見え隠れする。下から見上げる『T』の視線はゾクリとするような色気を孕んでおり、いつになく興奮してしまっている自分を、河野は恥ずかしく思う。

・・・あんなガキ相手に、俺もどうかしてるな。

「T!」

「T!」

隣の席の男が、バルコニーから身を乗り出して『T』の名を連呼しはじめた。彼もまた、『T』の視線の虜なのだ。席の担当者に「落ちますから、席にお戻りください」と注意される始末だ。

「隣が例の中国人のようだな」

「そのようですね。彼はああして客を盛り上げては、『T』の落札価格を吊り上げて自分が落としていくそうです」

槌屋は胸ポケットから、『T』に執着しているという中国人の顔写真を取り出した。丸い顔、丸い鼻、目が細く、凹凸の少ない顔は明らかにモンゴロイド系だ。

「その瞬間の優越感を楽しみたい、という事か」

「そうでしょうね」

隣の客は、声を張り上げて中国語で文句を言い始めた。担当者も困惑しているようだ。中国人は客を煽る役目を勝手に担っているわけだが、担当者の物言いが気に入らなかったらしい。北京語を多少は理解する河野は、耳をそばだてて中国人の言い分を聞いていた。

「今夜も自分が落札するのだから、何をしようと自分の勝手だ、と言ってる」

「IT長者だそうです」

「品がないな」

「そんなものは東シナ海にでも落としてきたのでしょう」

真面目な槌屋が真面目な顔をして冗談を言うのを聞いて、河野は可笑しそうに笑った。

「ははっ、お前でも冗談は言うんだな」

「ありがとうございます」

「褒めてないぞ?クソ真面目」

「はっ」

『T』の上手いとは思えないポールダンスは、「技術がある」というよりもただ色っぽく、男たちの欲望をそそる事が出来ればいいというレベルだ。以前、ショーパブで見たプロのポールダンサーとは比べものにならないと、河野は『T』から目を逸らそうとした。

だが、『T』のダンスには圧倒的な力があった。

それを助けているのは、彼の秀でた美貌と抜群のプロポーションに他ならない。まるで華が舞うかのごとく長い手足を一杯に広げて、『T』はポールを握って踊る。

大きな瞳は伏し目がちではあるが、瞬きの度に輝きを増す。彼がポールにしがみ付き、大きく股を開いてクルリと回る度に、磨かれた白い肌に塗られたラメ入りのボディパウダーがキラキラと輝き、彼に華やぎを加える。

まるで雨露に濡れた若葉のような瑞々しさを湛えた頬。厚めの唇は少年から青年へと変化しつつある彼の、妖婦のような色気を振り撒きながら男たちの目を釘付けにしている。綺麗に通った鼻筋、愛らしい表情で客席に向って微笑めば、真珠のような歯が零れ出る。

それを見た男たちは、今夜は落札出来ないとわかっていながらも手を上げてしまうのだ。『T』の落札価格を例の中国人が吊り上げてしまうとわかってはいても、「もしや」という期待感には抗えないのだ。


 背後からノックが聞こえた。槌屋が「入れ」と指示すると、この席の担当者が姿を現した。

「失礼します」

担当者は隣の中国人の入札価格を知らせに来たのだ。小さなメモを槌屋に渡した彼は、静かにドアを閉めた。

「あっちはいくらだ?」

「100万です」

「ほう」

「毎晩、この金額を提示してくるそうです。他の客との競合になる日もあるそうですが、やつが更に積んでくるので結局は他の客が下りるそうです。やつが帰国すればもっと安い金額で落札出来るわけですから、今夜積まなくてもいいと顧客は思うようですね」

「そのとおりだな。わかった。後は任せた」

「はっ」

槌屋は「お任せください」と言い、外へと出て行った。

 河野は『T』の拙いポールダンスを観ながら、オペラグラスの誘惑に打ち勝とうと必死だった。もうすぐ、本物の『T』に会える。わざわざオペラグラスの力を借りずとも彼に会える。そう思うのだが、もっと彼を見たいという思いには勝てない。

「チッ」

しょうがねえな、と舌打ちしながら、河野はオペラグラスに手を伸ばした。

*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

すみません、一昨日【登場人物と目次】をUPしましたが、登場人物を記載するとネタバレになるのでまだ記載しておりません。今のところ、【目次】のみです。よろしくお願い致します♪

   日高千湖

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T・3

 全ての演目が終わり、深紅の幕が下りた。

 河野の隣の席の中国人が騒いでいる。汚い言葉で担当者を詰るが、担当者は中国語を理解していないようだから馬耳東風だろう。「どうして落札出来なかったんだ」と担当者を罵倒する姿を河野が見る事は出来ないが、きっと茹蛸のように真っ赤な顔をして、腕を振り上げながら怒り狂っているのだろう。

そう思うと、小気味良い。そんな自分がアホらしくなった河野は、耳を塞ぎたい気分だった。自分も、興奮して『T』と叫び続ける俗物たちと同じ生き物だという事が身に染みる。

「若、どう致しますか?隣が引き上げてから移動した方がよろしいかと」

「そうだな」

「担当者を金で抱き込みました。店の連中には今夜の落札者が『誰』とわからないようにしろ、と言ってはおりますが」

河野とて、余計な恨みは買わない方が良いに決まっている。

「チャイニーズマフィアは荒っぽいからな」

「はい」

これまでにもチャイニーズマフィアの絡んだ騒動に首を突っ込んだ事が何度かあるが、彼らのやり口は汚い。彼らの流儀は河野が幼い頃から父や祖父に叩き込まれた「任侠」とは一線を画す。

高が男娼を落札出来なかったくらいで、報復を考えるほど隣の中国人もバカではないと思うが、槌屋は念には念を入れて店のスタッフにも落札者を伏せるように口止めした。例えそれが偽名だったとしても、だ。

何しろ、今から彼らがやろうとしている事は、天下の河野組の屋台骨を揺るがすかもしれないような大仕事なのだから。

河野の身元を隠し、会員登録も当然偽名だ。この場に集まった者の中に河野や槌屋の顔を見知った者がいたとしても、河野が「居た」事は「見なかった事」にするだろう。

隣からテーブルをひっくり返す音がした。派手にグラスや皿が割れる音が響く。続いてドアを蹴飛ばしたような音がして、廊下に出た中国人が喚いている。「責任者を出せ」と騒ぐ彼に、スタッフ数名が手を焼いていた。こういう騒ぎを聞き付ければ、自分のシマでの出来事ならば割って入ってさっさとカタを付けてやるのだが、と河野は臍を噛む。

「飯坂は?」

「全ての準備を終えて車で待機しています」

「よし。騒ぎが治まったら行くぞ」

「はい」

廊下では騒動が続いている。しばらくして数人が走り寄る気配がした。「支配人!助けてください!」と声が聞こえる。ドア一枚隔てているから外の会話ははっきりとは聞こえないが、槌屋がドアに張り付いて耳をそばだてている。

「どうやら、出入り禁止になるようですね」

「ははっ」

中国人が暴れているのか、ドン、ドンと壁を叩くような音やドアを蹴るような音が響いている。下の席の客はほぼ全員、好みの少年を落札して消えたが、中には上の騒動を面白そうに見上げている者もいる。

今すぐにここから動くのは拙いと判断した河野は、ワイングラスを手に取った。


 漸く、外の騒ぎが治まった。店側も、騒動の最中に河野たちVIP席に座っていた客を帰すのは拙いと判断したのか、特に案内もなかった。

頃合を見計らって槌屋がドアを細めに開くと、廊下の向こうから担当が走り寄ってきた。彼は開いたドアにそっと身体を滑り込ませると、素早くドアを閉めた。そして小声で話し始める。

「お騒がせして申し訳ございませんでした」

担当者に合わせて、槌屋も小声で話す。

「ああ、構わない。ところで、どうなった?」

「はい。騒がしい方には退店願いました。以後、この店への出入りは禁止となります」

「そうか」

担当者は申し訳なさそうに頭を下げた。

「今夜は特別室を準備しましたのでそちらへご案内致しますが、店内がごたついておりますのでもう少々お待ちくださいませ」

それを聞いた河野が前を向いたままコクリと頷いたのを見て、槌屋も「わかった」と店側の判断を承諾した。


 河野たちが動いたのは、それから10分後。《SWAN》はビル一棟丸ごとが、高級売春組織に支配されているという。表向きは会員制のショーパブと社員寮としてあるが、地下と1階の店以外は事務所と少年たちの部屋として割り当ててあるらしい。

 河野たちが案内されたのは、最上階だった。エレベーターを降りると、左右に2部屋ずつ。一番奥の部屋のドアには白鳥が象嵌で施してある。

「こちらでございます。飲食をご希望でございましたら、タブレットがございますので入力してくださいませ。メニューにない物でも、お好みの物をご準備致します」

河野に代わって槌屋が「ありがとう」と返事をし、彼にはこっそりと準備していた封筒を握らせる。その厚みに、彼の頬が輝いた。2人が部屋に入ると、彼は恭しく頭を下げた。

「では、『T』と共に夢の一夜をお過ごしくださいませ」

ギッと音がしてドアが閉まり、その瞬間に外から鍵が掛かる。鍵は内側からは開かないシステムだ、と買収した担当者からすでに聞いている。槌屋がドアノブを引き、それを確認する。

「カメラがないか確認しろ」

「はっ」

「ロックを解除しろ」

河野はメタルフレームのメガネを外し、濃い色のサングラスに替えた。槌屋も同じようにサングラスを掛ける。槌屋は壁のコントロールパネルを開き、部屋のロックを解除した。槌屋はすでに解除パスワードも手に入れていた。

「いらっしゃいませ」

胸元が大きく開いた白いシャツに黒いズボン。『T』が、ソファーに座ったままで艶然と微笑んだ。豪華な室内はベルサイユ宮殿風の設えだ。家具や調度品は、目の肥えたVIPの為に選び抜かれた逸品。そして、それらに負けない『T』の美貌に、河野と槌屋は息を飲んだ。

 『T』は河野たちが部屋に入った途端にサングラスを掛けた事をいぶかしむ様子もない。こういう「設定」でのプレイも、日常茶飯事だというわけだ。

「初めまして、『T』です。今日はありがとう。今夜の相方も例の中国人だと思っていたから、嬉しいです。なかなかいいオトコじゃない?でも、いきなり3Pなの?僕は構わないけど、チップは弾んでね?」

まだあどけない表情を残した『T』は、赤い舌をペロリと出して唇を舐めてみせた。オトコを誑し込む手口を幼い頃から叩き込まれて育ったのか、『T』は軽くウィンクしてみせる。

 河野は内心、サングラスに感謝した。瞳の奥の動揺を悟られずに済む。いつになく、『T』というオトコに心を揺さぶられている自分を恥ずかしく思う。

槌屋は『T』には目もくれずに、部屋の隅々まで確認して回った。

「ありました」

「手筈どおりに」

「はい」

槌屋は部屋に仕込んであった監視カメラ4つを、持っていたスパナで叩き壊しはじめた。

「あっ!何をするの?」

「君には危害は加えない。心配するな」

「僕は」

『T』は珍客が「プレイ」の為にやってる、くらいにしか思っていないようだ。胆の据わった事に、彼は驚くフリまでしてみせる。

「酷い事、しないでっ!」

「そんな事はしない。黙って座ってろ」

河野の威圧的な言葉に圧倒されるでもなく、『T』は大人しくなった。おそらく彼らの身に危険が及ぶ事を恐れて仕込まれたカメラだ。生命線とも言える監視カメラが本気で壊されている事に気が付き、『T』は頬を引き攣らせた。

豪華な部屋に不釣合いな、ガンガンという荒々しい音が響く。

「終わりました」

「ご苦労。店の連中が来るぞ、準備しろ」

「はっ」

槌屋は内ポケットから拳銃を取り出し、臨戦態勢に入った。それを見て、漸く『T』は立ち上がった。

「何なの?あんたたち」

河野に向ってぞんざいな口を利く『T』は立ち上がったが、すぐに助けが来ると踏んでいるのか再びソファーに座ると、テーブルの上に乱暴に足を投げ出した。そして、余裕の表情でテーブルの上のチョコレートに手を伸ばした。

こんな態度を組の者が見れば、きっと「若の前で何事か!?」と大騒ぎするに違いないが、槌屋は『T』の態度を見逃した。

「名前は?」

「僕の名前?『T』だよ」

「本名を言え」

「あんたに言う必要がある?」

「ああ、あるね」

河野は『T』の前に座った。ソファーの奥にはキングサイズの天蓋付きベッドがある。真っ赤な寝具の前にいる『T』を見て、河野は自分の胸の奥がムズムズと騒ぎ出すのを感じた。

「あんた、何様?僕とヤりに来たんじゃないの?」

『T』はチョコレートを口に運んだ。そしてその手で、自分の股間を擦ってみせる。

「俺が誰だろうと関係ない。ここを出たらゆっくりと説明してやるから、さっさと立て」

河野は立ち上がり、『T』に向って手を伸ばした。

「はあ?」

『T』は勇ましくも河野を睨み付けた。

「あんた、知ってんの?僕はね『T』なんだよ?《SWAN》のナンバーワン『T』だ。たったの200万で、オーナーの許可なしに僕を連れ出せるとでも思ってんの?」

「だからなんだ?」

「バカにしてるの?そんじょそこらの男娼じゃないんだからね?僕の前では大臣だって、王さまだって平伏すんだよ」

「橋詰の野郎の事か?客の秘密を暴露してもいいのか?」

口元に薄ら笑いを浮かべる河野を見て、『T』は少々慌てた。今まで彼が接してきた誰とも違う。目の前の男は、そこらの男とは胆の据わりが違う。いわば、百戦錬磨の将のような風格を感じるのだ。

「そんなんじゃ・・・」

バタバタと数人の足音がして、ドアノブをガシャガシャと回すがすでに槌屋がロックを内側から解除し外からは開かないように設定をしている。

彼らは大声で「開けろ!」と叫びながらドアを叩き始めたが、防音のドアの前では「『T』大丈夫か!?」と微かに声が聞こえる程度だ。

「俺と行こう」

河野は微笑みながら手を差し伸べた。もしこの少年が探していた人物ではなかったとしても、彼をここに置いておけない。

「どうして!?」

「世界が開けるぞ」

「世界が、開ける?」

「そうだ。ここを出て、本当の自分を取り返せ」

「本当の、自分?僕は・・・」

「『T』は君ではない。君の名前は『たかはる』。加々見敬冶、それが君の名前だ。違うか?」

彼が『加々見敬冶』でなくてもいい。いや、むしろそうでない事を河野は願い始めた。

「・・・そうだよ」

「か、が、み、た、か、は、る」

河野は一音一音を区切って、敬冶の名前を呼んだ。敬冶は本名を呼ばれて、大きく息を吸い込んだ。息を吐き出す事を忘れたかのように、敬冶は呼吸を止めた。

「はあっ・・・そうだ。僕の名前は加々見敬冶。『T』ではない」


忘れていた自分の名前を聞き、『T』は『敬冶』として生きていた時間を思い出した。最後に広い場所で青い空を見たのはいつだっただろう。今では、このビルの中と自分に許された小さな鉄格子付きの窓から見える空と下界だけが彼の『世界』だった。太陽が西に傾き、その輝きを拝めるのはあと数時間という時刻まで、太陽を見る事も出来ない額縁のような窓には、もううんざりだった。

ここにいる少年たちは全員、敬冶と同じような境遇の者たちだが、敬冶のように12歳まで外の世界で自由に過ごした者は少ない。皆、幼少期から特別な施設で育てられているからだ。中には電車やバスに乗った事がない者もいる。

ここから出る時は、死んだ時か金持ちが落籍してくれた時。現役を引退しても、ここでボーイや世話役として働く以外に道はない。そう思っていたのに、目の前の男が手を差し伸べている。


「俺と行くか?それともここで籠の鳥でいるか?好きでもない中国人にいいようにされて、腰を振って生きていくのが君の望みか?」

「・・・本当に、ここから出してくれるの?」

「ああ」

「僕は、どうすれば?失敗したら、殴られる。それだけでは済まないかもしれない。あんたたちだって、命はないよ」

「君は抵抗すればいい。失敗した時は、君は俺たちに無理矢理攫らわれそうになったと言えばいい。まあ、俺は失敗はしないがな」

自信に満ちた河野の言葉に、敬冶は心を奪われた。僕はどこかの国の王子さまで、いつか優しい両親が助けに来てくれるのだと、夢物語を妄想していたのはいつの事だったか。

本当にここから出られるのかわからない。もしかしたら、あのいけ好かない中国人の手下かもしれない。パスポートのない敬冶に「こっそりと出国する術がある」と寝物語に囁いたのを実行しているのかもしれない。

それでもいい、ここから出られるのなら・・・。敬冶は緊張の余りにカラカラになった喉から、声を振り絞った。

「・・・OK」

「よし。俺が君に危害は加える事はない」

そう言って、河野は敬冶の腕を掴んだ。その腕を背後で一纏めにしてベッドに置かれていたガウンの腰紐で縛り上げる。そして背後から首元に腕を回した。

「彼がドアを開けたら、叫べ。助けを求めるんだ。思いっきり抵抗しろ。俺に遠慮はするなよ」

「うん」

今、加々見敬冶の運命のドアが開かれる。
 
*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

なんちゃって極道って、難しい・・・。

   日高千湖

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ありがとうございました!

T・4

「準備はいいか?」

「はい、いつでも」

「よし、行くぞ」

河野は敬冶の耳元で、「少し乱暴な扱いをするが、許せよ」と言った。敬冶は耳朶を擽る息に、身を震わせた。河野が敬冶の肩を押してドアの近くまで移動する。その間に、槌屋はドアロックの設定を素早くいじった。

「本当に、大丈夫なの?」

「心配するな」

「わかった」

敬冶は覚悟を決めて、赤い唇をキュッと噛み締める。

親にも捨てられ、この狭いビルの中で一生暮らすしかないと思っていた籠の鳥が、求めていた広い世界へと羽ばたくチャンスをくれた男たち。たった2人だけだが、敬冶にはそれが「頼りない」とは思えない。

自分はまだ若い。だが、新たな人生に向って踏み出せるチャンスは、そう易々とは巡ってこないのだ。

「あんたたちに、僕の全てを任せるよ。だから、必ず、僕をここから出して。僕は自由になりたい」

敬冶の力強い言葉を聞き、決心の籠もった瞳を見た河野はニヤリと笑う。

「いい子だ。おい!準備はいいぞ、やれ!」

「はっ」

河野の合図と同時に、ドアロックの設定を外から開けられるように切り替えられた。外にいた店のスタッフたちにはそういう事情がわからないから、彼らは力任せにドアを引き、同時に槌屋は長い足でドアを蹴飛ばす。バンッ、と勢い良く開かれた観音開きのドアの外に居た者たちは、その弾みで大きく弾き飛ばされてしまった。

「うわーっ」

もんどりうって廊下に転がった者たちの中には、例の担当者もいた。4人は突然の出来事に呆然とし、目を見開いたままだ。4人とも、尻もちを付いたまま立ち上がれない。

「頭に両手を乗せろ!跪け!」

槌屋は、ドスの利いた声で転がっている人々に銃口を向けた。槌屋の手に握られている銃を見た4人は、恐怖に顔を引き攣らせながら後退りする。

「う、撃たないでくれ!」

「た、た、助けてください!」

腰が抜けた彼らは口々に助けを請いながら、両手を頭に乗せて跪いた。

「手は頭に置いたまま、肘を付いて四つん這いになれ!早く!」

「うわわわ・・・っ」

恐怖に震えながらも、4人は言われたとおりに四つん這いになる。

「そのまま中に入れ!急げ!」

「ひっ・・・」

4人は槌屋に言われたとおりに肘と膝を使って、床を這って部屋の中へと入って行く。槌屋は荒々しく彼らの尻を蹴り、時には銃口を背中に押し当てながら急かした。

「助けて!」

中に入った4人は、『T』の声を聞き顔を上げた。そして屈強な男に両腕を捕まれ、頭に銃口をあてられた『T』を見て呆然とする。

「『T』!大丈夫か!?」

「支配人!助けて!怖いよ!」

「お、大人しくしろっ!抵抗するな、いいかっ!」

「怖いよ、早く助けて!」

敬冶は河野に言われたとおりに助けを求めた。「危害は加えない」と言われていても、頭に銃を突きつけられた状態では恐怖が勝ったのかもしれない。

「静かにしろ!」

河野は敬冶の頭に押し付けていた銃口を4人に向けた。

「騒げば全員あの世行きだ」

「嫌だっ!まだ死にたくないよっ!助けてっ!」

敬冶は河野に言われていたとおりに、彼の手から逃れようと暴れた。河野の銃口が敬冶の頭に戻ってくる。

「大人しくしろ!」

「うわぁーーっ!う、撃たないでっ!」

槌屋が4人の背や尻を蹴り、支配人と呼ばれた男の頭に銃口を押し当てる。

「うわあーーーっ!」

「煩せえ!ガタガタぬかすんじゃねえ!全員壁に向って座れ!」

「助けて!お願いっ!」

4人は恐怖を顔に張り付かせて、ガタガタと身体を震わせながらも壁ににじり寄って座った。槌屋は彼ら一人一人の頭に銃を順に突きつけて脅す。4人は口々に「助けてください」、「お願いします」と言いながら、代わる代わるに銃口を頭に突きつけられて震えていた。

河野は「助けて!」と繰り返しながら暴れる敬冶に向って、「煩せえガキだな!」と言いながら、彼の口にいい匂いのするハンカチを丸めて突っ込んだ。

「うっ・・・うっ、うっ、んっ」

敬冶はじわじわと河野に肩を押されながら、部屋の外へと連れ出された。支配人が縛られて拉致されようとする敬冶に向って叫ぶ。

「『T』!」

河野は敬冶をドアに押し付け、銃口を支配人に向けた。そして低い声で威嚇する。

「黙れ。死にたくなかったら、じっとしてな」

「壁に向って正座しろ!」と槌屋が命じる。

「は、はい・・・助けてください!撃たないで!お願いします!」

銃口を向けられた彼らはガタガタと震えながら、壁に向って正座した。

「もっとくっ付いて座れ」

「は、はい」

4人は互いに身体を寄せ合う。

「もっとだ。もっとピッタリと密着して座れ!」

「は、はい」

「頭の上でお互いに手を繋げ!早くしろ!」

慌てて4人が互いに手を繋ぐと、槌屋は準備していた粘着テープを取り出し、銃口を向けたままで4人の繋いだ手を纏めてグルグルと巻いていく。8本の腕を一纏めにすると、粘着テープを身体にも巻きつけてしまう。彼らは全く身動きが出来なくなった。

「余計な事をするな。動けば命はないものと思え」

「は、はい」

出入り口からは河野の持つ銃口が自分たちを狙っている。『T』はハンカチを口に突っ込まれたまま半泣きで震えていた。その姿を見て、4人は誰も『T』が自らここ出て行く為の芝居だとは気が付いていない。

槌屋は4人の口にも纏めて粘着テープを貼った。それを確認して、河野は敬冶の肩を押す。

「歩け」

「んぐっ」


ハンカチを口に突っ込まれて上手く話せない敬冶は、泣きながら頷いた。背後でドアが閉まる音がした。自分の意思でここから出て行く敬冶は、涙の訳を探した。

泣くほどの恐怖はない。彼らに全てを任せ信じて付いて行くだけ。この先の人生に何が待っているかはわからないが、敬冶はすでに走り始めていた。

・・・そうか。僕は新しい世界を見るのが怖いんだ。


 4人が粘着テープを剥がしても、内側からはドアが開かないように設定してある。コントロールパネルには内線電話もあるが、槌屋が使えなくしてしまった。河野たちがここから逃げ切れるくらいの時間は十分稼げるはずだ。

外からは飯坂が《SWAN》のシステムに侵入して、非常口のロックを解除する手筈になっている。この廊下に設置してある監視カメラも作動していないはずだ。現在、管理事務所で見られている画面には、飯坂によって昨日の録画映像とすり替えられたものが流れているはず。

「急げ」

「はい」

縛られたままで走らされる敬冶の足が縺れる。普段、このビルから出る事がない彼は運動不足だ。それを訴えようとするが、2人の間に漂う緊張感は半端ではない。

「まっ・・・んっ」

「黙ってろ。ここから先は、命も預けてもらうぞ」

河野の押し殺した声に圧されて、敬冶は苦しさを堪えた。


 エレベーターの動きがいつもより遅く感じているのは敬冶だけだ。エレベーターが降るにつれて、敬冶の心臓の動きも早くなる。

ドアが開いたら、そこには用心棒として雇われている厳つい警備員たちがいるに違いない。彼らが非常口の前から片時も離れないから、少年たちが脱走を試みても無駄なのだ。

敬冶はそれを2人に伝えたかったが、口の中にはハンカチが突っ込まれたままだ。

「んっ、んっ!」

「静かにしないか」

敬冶の背後にいた河野が低い声で言った。

「んっ、うっ、んっうっ」

「もうすぐ1階だ。集中しろ。大丈夫だ、俺たちに任せろ」

チンと彼らの緊迫感とはそぐわぬ軽い音がして、エレベーターのドアが開き始める。敬冶は万が一でもここで命を落とす事がありませんようにと、いまだ見ぬ神に祈った。

槌屋と河野は互いにアイコンタクトで意思を疎通し合い、銃を構える。槌屋は銃を構えたまま河野たちの盾になるようにしてエレベーターのドアが全開になる前に周囲を確認して外に出る。敬冶は警備員たちが待ち構えていると思っていたが、ドアの向こうには誰もいなかった。

だが非常口の前では頑丈そうな警備員が、怪訝そうにこちらを見ていた。

少しだけ拍子抜けしていると、河野が背中を押す。背中に当たっているのは、どうやら銃口のようだ。間違って自分の背中を打ち抜くのではないか。もしそうなっても、まともな病院には連れて行ってもらえない。

初めての銃の感触に、敬冶は肝を冷やす。本当に人質になった気分になり、彼らが一芝居打っているとわかっているのに不安に襲われた。

「んっ、ぐぐっ」

振り返ろうとする敬冶の耳を、河野の声が打つ。打って変わって優しい声で「心配するな」と囁かれて、敬冶は腰から力が抜けた。

「行くぞ」

槌屋を先頭に敬冶の背後から河野が続こうとしたが、敬冶は膝が砕けたように力が入らなくなった。エレベーターを降りれば、約10メートル先が非常口だ。

警備員たちには未だ、『T』の部屋の異変を知らせれていないようだ。『T』が客を見送っているとでも思っているのか、彼らは3人に頭を下げただけでその場から離れようとはしない。

「どうした、歩け」

「んっ・・・うっ」

どうしてだか涙が止まらなくなり、敬冶はその場に崩れ落ちる。

「なにをやってんだ!?」

「う、ぐっ」

「しょうがねえな」

河野が敬冶の身体を軽々と担ぎ、肩に背負った。

「じっとしてろよ」

「・・・んっ」

『T』の身体が宙に浮いてはじめて、警備員が異変に気付いた。彼らは腰に下げていた警棒を取り出して駆け出した。

「何をしている!」

「貴様ら!」

乱暴な声が聞こえた。エレベーターホールの向こうにいた警備員たちもバラバラと走ってくる。不審者を見つけ、さすまたやスタンガンを持って来る者もいる。

槌屋は落ち着いた様子で一発、床に向って発砲した。バンッと鼓膜が破れそうな音がホールに響いた。

「うわーーっ!」

警備員たちが怯んだ隙に槌屋は非常ドアに向って走り、河野も敬冶を抱えたままホールを駆け抜けた。警備員たちは銃を所持した2人組に気圧されて、身動き出来ないでいる。

「ま、待て!」

警備員たちは、ドアはパスワードがないと開かないと思い込んでいた。

「銃を捨てろ!そのドアは開かんぞ!観念しろ!」

さすまたを河野たちに突き出しながら、警備員が凄んでみせる。すると、槌屋はニヤリと笑った。

「残念だな。俺たちは帰りたい時に帰る主義なんでね」

「無駄だ!お前らは出られない!『T』を開放しろ!」

担がれた敬冶は足をバタバタさせて抵抗した。縛られた腕を振り上げて、河野の背中を叩く。感情が昂ぶって、自分が芝居をしているのかどうかもわからなくなってきた。

「大人しくしねえか!」

河野のドスの聞いた声を聞き、本気で泣きたくなる。

「んっ・・・ぐっ、うっん」

「怪我したくなければ、大人しくしろ!」

槌屋はロック解除のランプが緑色に変わったのを確認した。外で待機している飯坂が、発砲を合図にドアのロックを解除したのだ。

「行きましょう」

「おうっ」

河野がドアノブを回すと、ドアはカチッと音を立てて簡単に開いた。敬冶は夜の帳が下りた街を目の前にして、身体も心も震わせた。

*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

ええっと、色々と変な部分がございますでしょうが、とりあえず脱出成功www←メチャ、ご都合主義なの(笑)

なんちゃって劇場と思って読んでくださいね~♪

敬冶くんったら、声で腰抜かすwww

   日高千湖

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ありがとうございました!

T・5

 敬冶が8年振りに見た世界は、夜だった。だが、真っ暗闇ではない。

数十メートルおきに街灯が灯り、ほんのりとした暖色系の灯りがアスファルトを照らしている。敬冶のいる非常口の前から、客が出入りするドアの《SWAN》の文字と2羽の白鳥のステンドグラスが見えた。

敬冶はこの日初めて、8年間過ごしたビルの外観を見た。河野に担がれたままで自分が閉じ込められていたビルを見上げて、初めてここを訪れた日の事を思い出した。


 あれは夏の暑い盛りだった。敬冶には戸籍がなく、小学校にも中学校にも通っていなかった。同じアパートに住む同じ年頃の子が、『学校』という所へ通う姿を窓から見送るのが敬冶の日課だった。毎年4月になると、その子どもが使っていた教科書がゴミの集積所に捨てられているのを拾い、敬冶は文字と計算を学んだ。

 ある日、初めて母に喫茶店に連れて行かれた。炎天下の中、駅2つ分歩かされてやっと着いた喫茶店で、「何でも好きな物を食べていいわよ」と言われた敬冶は、喜んでフルーツパフェを注文した。

壁に貼ってる写真を見て期待に胸を躍らせている敬冶を、母は終始笑顔で見詰めていた。今思えば母は、この日敬冶を捨てる事が心底嬉しくて笑っていたのだ。

そんな事とは知りもしない敬冶は、壁に貼ってある写真と寸分違わぬフルーツパフェを目にして感動していた。

 母はアイスコーヒーを注文し、タバコに火を点けた。「暑い」と言いながら、持参した派手な扇子を取り出すと冷たい風をパタパタと扇ぐ。母の扇子が運んでくる香りのする冷たい風は、狭くて暑苦しいアパートの熱気を掻き回すだけの扇風機の風とは全く異なっていて、身体の熱が一瞬で飛んでいくのではないかと思うくらい心地良かったのを思い出す。

母はストローを使って、アイスコーヒーを一気に飲み干した。ズズッという音が何度かして、母はタバコの火を消した。初めて食べるフルーツパフェが勿体無くてまだ手を付けていなかった敬冶は、慌てて一番上に乗ったバナナを口に入れたが、母は優しい声で言った。

「いいのよ、ゆっくり食べなさい。母さん、買い物してくるから、あんたはここで待ってるのよ。いいわね?」

「うん!」

甘いバナナを噛み締めながら、急に優しくなった母に笑みを返す。こんなに優しい母は、生まれて初めてだったからだ。

冷房の利いた店内は天国のようだった。6畳一間のオンボロアパートに、エアコンはない。また30分掛けて歩いて帰る事を考えれば、母の言うとおりにここでパフェを食べながら涼んでいた方がいい。

甘い誘惑の虜になった敬冶はフルーツパフェを味わう事しか考えられなかった。母は化粧ポーチを取り出すと、手早く化粧を直し店を出て行った。

そして母は、喫茶店には戻って来なかった。

 母の代わりに敬冶を迎えに来たのは、スーツを着た綺麗な男だった。

「君が敬冶くんだね?」

「・・・はい」

フルーツパフェとアイスコーヒーの支払いが出来ない敬冶は、店から出られなかったのだ。買い物に行った母を捜しに行く事も出来ずに、グシャグシャになったフルーツパフェの残骸を前に泣きそうだった。

母の代わりに来たという男は代金を払ってくれた上に、敬冶を車に乗せてくれた。また2駅分歩いて帰るのかとうんざりしていた敬冶は、革張りの座席に緊張しながらも初めて乗った高級外国車に興奮していた。自分がどこに連れて行かれるかも知らずに。

その日から、敬冶はビルの中の籠の鳥だ。


 薄暗いが周囲を見回してみた。遠くでネオンサインが点滅を繰り返しているが、そこは閑静なマンションが建ち並ぶ住宅街の一角だった。

 《SWAN》は繁華街の真ん中にでもあると思い込んでいたが、そうではなかった。ここに連れてこられた時には、窓に黒いシートを貼ったワンボックスカーの一番後ろに座らせられていた。そして、車は《SWAN》の地下駐車場に停まりそこからビルの中へと連れて行かれたのだ。目隠しはされていなかったが、渡された携帯ゲーム機に夢中で敬冶は外を全く見ていなかったのだ。

 敬冶たちの部屋の窓は小さく、例えれば一般住宅のトイレの窓くらいの大きさだった。しかも、彼らが外を覗いたり出来ないように窓は高い所にある。社員寮を装っているこのビルにも窓はあるのだが、それらは全て内側から目張りされて開かないように板を打ち付けてあるのだ。

今日、客としてやって来た『有森』という名の男の肩に担がれたままで見る世界は暗く、敬冶は自分の未来が明るいものとは思えなかった。男の、「世界が開ける」という言葉を信じて付いて来たのは間違いだったかもしれない、と怖くなってくる。


 キキーッと車が急発進する音が聞こえ、猛スピードでやって来た黒いワンボックスカーが河野たちの目の前に急停車した。停車するかしないかのタイミングで中からドアが開く。

「お早く!」と、乗っていた男が河野たちに声を掛けた。

「待たせたな」

先に河野が敬冶を抱えたまま車に乗り込み、後から槌屋が乗ったが警備員たちが追ってくる気配はない。河野は敬冶の身体を乱暴に一番後ろの座席に放り出した。

「うっ・・・んっ」

槌屋の身体がワンボックスカーに納まった瞬間に、運転手は車を急発進させた。ドアはまだ完全には閉まっていない。よろけた槌屋は車内で転がりそうになり、運転手を乱暴な口調で注意した。

「おいっ!こらっ!危ねえだろうがっ!」

「すんません!」

若い男が謝ったが、彼は本心から謝ったわけではないようだ。車はキキッとタイヤの擦れる音を響かせながら、夜の住宅街を猛スピードで進んでいく。槌屋はよろけながら敬冶の前の座席に座った。

「車を乗り換えます。急いで着替えを!5分です」

「わかった」

河野は敬冶の口に突っ込んでいたハンカチを取り出してくれた。口の中がカラカラになった敬冶が不快そうに眉を寄せると、河野は笑いながら頬に軽く触れる。そして、手首を縛っていたバスローブの紐を外してくれた。車内でサングラスを外した河野が、手首を恭しく掴むと傷がないか確認している。

乱暴な運転で、時折ワンボックスカーが大きく揺れる。カーブのたびに、キキッとスリップ音がして敬冶の身体も河野の身体も大きく傾いだ。その度に、河野は敬冶の身体をそっと支えてやる。


 敬冶はサングラスを外した男の顔をまじまじと見た。目の前の男は、キリッとしたかなりの男前だ。理知的な瞳と綺麗に整った鼻筋。奥二重の瞳は意志が強そうで、頼り甲斐がありそうだ。いや、確かに頼り甲斐はある。

これまでも何人もの少年が脱出を試みたが、失敗して戻ってこなかった者も多い。彼らの大半は、少年たちの目の前で殴る蹴るの暴力を受けて大人しくなる。外の世界に出られた者は、敬冶が知る限り一人もいない。

小さな窓から飛び降りて命を落としたり、暴行の果てに息絶えた者たちは戻っては来ない。

「怪我はないな?」

「うん」

「怖かったか?」

「うん」

素直に頷くと、男は軽く微笑んだ。敬冶の頬に残った涙のあとを新しいハンカチで拭い、大きな手で敬冶の頭を撫でる。

「いい子だったな」

子ども扱いされて嫌な気持ちになった敬冶は、頭に乗った男の手を振り払った。

「あんた、名前は?」

「俺か?俺は河野大成。よろしくな」

「カワノタイセイ」

恩人の名前を忘れまいと、敬冶は名前を繰り返した。

「ああ」

河野は準備してあった袋の中から黒いパーカーとTシャツ、ウエストがゴムになっているボトムスを取り出し、「これを着ろ」と敬冶に手渡した。

「ありがと」

「サイズがわからないから、適当に準備しておいた。好みがどうのと言うなよ?」

「うん」

「4分しかない。急げ」

「はい」

河野は敬冶を一番後ろの座席に残して一つ前の座席に移動した。前を向いたままで河野は着替えを始めた。それを見た敬冶もシャツを脱ぎ、渡された黒いTシャツを頭から被った。裾を引っ張ってスポンと頭を出した瞬間、目の前で着替えている河野の背中が嫌でも目に入る。

「あっ!」

「なんだ?」

振り返った河野の瞳は優しかったが、その肩から背中に掛けて鮮やかに龍が描かれていたのだ。カッと目を見開き、口に玉を咥えた龍の刺青は本物だ。

「刺青・・・ヤクザなの?」

「ああ、そうだ。だから、なんだ?」

「ううん、大丈夫。そういう人も客の中にいたから」

「そうか」

「カタギの人とか芸能人とか、刺青入れた人、いるよ」

「ふうん」

興味なさそうな河野が黒いシャツを着て、龍は見えなくなった。

「しゃべってないで、着替え」

「ああ、うん」

黒いスラックスを脱ぎ、代わりにダボッとしたボトムスを穿いた。ウエストが大きいから紐を引っ張って調節する。河野ともう1人も着替えを終え、靴もスニーカーに履き替えた。さっきまでのスーツとは打って変わってカジュアルな服装だ。彼らが脱いだスーツを手早く袋に入れて、後部座席の後ろの放ったのはドアを開けた人だ。

「僕の靴は?」

「ああ、忘れていた。これを履け」

渡されたのはスニーカーだ。

「サイズは合ってるの?」

「大川、これだけか?」

運転している若い男が「助手席にいくつか揃えて置いてますから、選んでください」、とぞんざいに答える。槌屋は後ろから大川の頭を叩いた。車中にバチンと鈍い音が響く。

「若に向って、なんだその口の利き方は!」

「痛ってえ!運転中ですってば!」

大川のハンドルを握る手元が狂い、車は大きく揺れた。

「槌屋!いいから。大川には運転に集中させろ。危ないだろう?」

「はっ、申し訳ございませんっ!」

身体の大きな槌屋が小さくなって頭を下げた。その様子を見て、敬冶は聞いた。

「ねえ。あんた、偉いの?」

河野を「あんた」呼ばわりする敬冶を槌屋と飯坂が睨むが、敬冶はそれを何とも思っていないようだ。敬冶の無邪気な様子を見て、河野はクスリと笑う。

「偉くはねえよ」

「そう?じゃ、何様?」

《SWAN》の堅固な守りを突破し、易々と自分を外の世界に連れ出した河野と槌屋が只者ではないという事は敬冶にもわかる。『T』の客として訪れたヤクザの組長の相手をした事もある。河野は彼らと似たような雰囲気を漂わせてはいるが、彼らとは違う品を感じる。

「ヤクザ」というよりも、企業経営者の持つ雰囲気を強く感じるのだ。だが敬冶を連れ出した時の彼は、背中に背負った龍のように雄々しく、荒々しかった。

「あははっ。俺様」

大川の運転がますます荒くなり車内の緊迫感は増していたが、河野の笑い声はそれを中和する。だが、河野の答えが気に入らなかった敬冶は、口を尖らせて彼から目を背けた。

「面白くない」

「そうか?」

「うん」

敬冶は槌屋から渡された箱の中から自分のサイズが書いてある箱を開け、白いスニーカーを取り出した。

「わあ」

靴はいつも誰かのお古だったから、真新しいスニーカーが感動するくらい美しく見える。

「どうだ?」

「うん。スニーカーなんて、初めてだ」

誰も履いたことのない靴を履き、敬冶は初めて靴を買ってもらった子どものように狭い車内で足踏みをした。

「そうか?」

「うん。買ってもらった事ないんだ。それにあそこではサンダルとか、ダンスの衣装の靴しか履いたことないから」

「ふうん」

「若、間もなく着きます」

「わかった」

キイーッとブレーキ音が響き、ワンボックスカーは停車した。

「乗り換えるぞ」

「うん」

河野が差し伸べた手を当たり前のように掴んだ敬冶は、もう一度彼の背中の龍を見てみたいと思った。

*****

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T・6

 駐車場に待機していた車は黒いセダンだった。運転席には他の男が座ってエンジンを掛けて待っていた。河野たちが乗った車が到着すると、男は無言で車に向って深々と頭を下げた。そして大川に運転席を譲ると敬冶たちが乗っていたワンボックスカーに乗って、猛スピードで去って行く。

助手席に槌屋が座り、敬冶は後部座席の真ん中に河野と飯坂に挟まれた形で座らせられた。

「狭いよ」

「我慢しろ」

「だって」

「すぐに着くから、我慢しろ」

「・・・」

特に狭いとは感じなかった。隣の飯坂は槌屋のように大柄ではなく、敬冶は痩せている。5人乗りのセダンだが、男2人の真ん中に挟まれて座っても「狭い」とは感じないくらい車内は広かった。それでも「狭い」と文句を言ったのは、河野が見せた優しい笑みをもう一度見てみたかったから。

河野は機嫌を損ねたのか、微笑みはしなかった。敬冶に目もくれずに、「悪いな」と言うと窓の外ばかりを見ている。それが悔しくて、敬冶は唇を噛んだ。


「どうして警備員のおじちゃんたちは追って来なかったの?」

「追って来られない」

「どうして?」

「俺が外から遠隔操作してました」と、飯坂が足元に置いたノートパソコンを指差した。すると、河野が外を見たままで言った。

「飯坂はハッカーだ」

「ハッカー?」

「知らないか?コンピューターの専門家だよ。彼はプロ中のプロだ。他国からのサイバー攻撃に備えて政府が招聘したくらいの腕前だ」

河野の口調は少し自慢げだ。彼は、飯坂が自分の部下である事を誇りに思っているようだ、と敬冶は感じた。

「へえ・・・よくわからないな。ねえ、パソコンでそんな事が出来るの?」

「簡単ですよ。ちょちょいと細工して、あの店の監視カメラを操作しましたから、若や槌屋さんの顔は録画されていませんし、警備員たちにはあのドアのロックを解除出来ませんから、追う事も出来ません」

「わかんない。どうして解除出来ないの?」

「パスワードを変えましたから」

「じゃあ、どうして部屋の防犯カメラを壊したの?壊さなくても良かったんじゃないの?ちょちょいとやれば良かったのに」

敬冶に突っ込まれて、飯坂は苦笑いした。

「あれはタイミングってヤツです」

「タイミング?」

「ええ。若たちがいつあなたの部屋に入れるかわからないでしょう?もし俺の操作が早ければ、全てに支障が出てきますからね。俺はタイミングを見計らって《SWAN》の出入り口のロックを解除したり、監視カメラの録画機能を壊したりしなければならなかったんです。あそこの監視カメラって10人体制で監視してるんですよ。だから、あれだけは若たちのタイミングで壊してもらいました」

「へえ・・・」

飯坂の話しはよくわからなかったが、詳しく聞いても理解出来そうにないから敬冶はわかったフリをした。それも彼が編み出した処世術だ。

「今頃、もっと大騒ぎになっていますよ」

飯坂はニカッと笑った。彼はヤクザと言うよりも、一般人にしか見えない。河野と槌屋はカジュアルな服装でもカチッとした感じが消えないが、飯坂にはフード付きのトレーナーとジーンズがピッタリだ。大学生というのはこういう感じなのだろうか、と敬冶は飯坂の顔をジッと見る。

飯坂は、敬冶の黒くて美しい瞳に見詰められて頬を赤くした。

「僕が誘拐されたから?」

「ええ、それもありますけど。時限付きのウィルスを仕掛けましたから、あなたを追うどころの騒ぎではないでしょう」

飯坂は楽しそうにノートパソコンの画面を開いて敬冶に見せた。

「ほら」

敬冶の居た部屋の前では、数人がドアを蹴破ろうと体当たりしている。敬冶の部屋では、閉じ込められた支配人たちが苦しそうな格好で粘着テープを剥がそうと必死になってもがいている。敬冶たちを逃がしてしまった警備員たちは、地下駐車場で右往左往していた。駐車場に停車している車の盗難防止システムが一斉に作動し、プァンプァン、ビービーと機械音を響かせているのだ。エレベーターは停止し、中に閉じ込められてしまったスタッフが助けを求めていたり、非常口や店の出入り口のドアを2、3人で引っ張ったり、押したり、叩いたり。

画面の中に次々に映し出される滑稽な人々を見て、敬冶は声を立てて笑った。

「あははっ、あっ!この人、見て!」

敬冶は画面を指差しながら河野の袖を引いたが、河野は敬冶には目もくれない。先程よりも機嫌が悪くなったのは間違いない。河野は飯坂を睨むと、低い声でボソリと注意した。

「飯坂、いい加減にしないか。余り恨みを買うのも良くねえだろ?その辺にしておけ」

「すみません」

飯坂はペロリと舌を出すとパソコンのキーを弄り始めた。カシャカシャと目にも留まらぬ速さでキーを操作して、自慢げに微笑むと「終わりました」と河野に報告した。

「痕跡は残すな」

「大丈夫です。絶対に若には辿り着きませんよ。3ヶ国経由して最終的には政府が今一番気に掛けてる北に行き当たるように仕組みましたから」

「そうか」

河野が急に機嫌が悪くなった理由はわからない。だが、敬冶は河野の気を惹きたくなった。

「よくわかんなかった。ちゃんと教えてよ」

飯坂の身体を肘で突いてそう言うと、飯坂も河野に合わせるように声を低くして笑みを殺した。

「わからなくてもいいんだよ、君は」

「でも!」

「黙ってろ」

河野は敬冶を無視するかのように、敬冶に袖を捉まれている腕を引いた。敬冶の指先からポスッと河野の袖が抜ける。それが気に入らない敬冶は、「いつまでこの窮屈な車に乗ってなきゃならないの?いつになったら着くの?」と不満をぶちまけた。だが、河野も飯坂の返事はしない。前に乗っている2人も同じだ。

「ねえ!どこに行くの?」

足をバタバタさせて言ってみても、4人は答えない。

「・・・」

河野は敬冶から目を背けたままだ。飯坂も槌屋も、先程とは打って変わって穏やかな運転をする大川も黙ったままだ。

面白くない敬冶は窓に目を向けたが、黒いシートが貼られた窓から見えるのは街のネオンくらいで風景などは見えない。彼らが自分を無視しているとしか思えなかった敬冶は、自分の太腿を河野の太腿にぶつけてもう一度聞いた。

「ねえ!僕をどこに連れて行くの?」

「君を捜している人がいる」

「僕を、捜してる?誰?母さん?それとも・・・父さん!?」


母が捜すはずがない。敬冶を捨てたのは母親だ。敬冶がどこにいようと関係ないだろう。8年間、母が敬冶に会いに来た事は一度もなかった。

ましてや父親の顔など見た事もない。父の写真すら、母は持っていなかったのだ。母に「父親はどこの誰だ」と問い詰めた時に、嫌と言うほど殴られた。だから、それ以来自分には「父」と呼べる存在はいないのだろうと思う事にした。

「父」がいないから学校にも行けないのだ、と納得するしかなかった。

父親が捜してくれていたのかもしれない。ヤクザの「若」と呼ばれる人を使って捜索出来る程の力を持った人が父親ならば、自分が夢見ていた『王子さま』もあながち空想とは言えなくなったと、敬冶は嬉しくなって河野の腕を掴んだ。


 こちらを見た河野の瞳が優しかった。部屋に入ってきた時はメガネを掛けていたが、今はメガネもない。温かな眼差しに射られて、敬冶の胸の奥に残っていた純な成分が噴出してくる。

・・・うわっ。カッコいい。

「母さんでも父さんでもない。捜しているのは君のおじいさまだ」

「おじいさま?おじいさま・・・?いたんだ、そんな人」

飯坂が「そりゃいるさ」と小声で呟いた。

「そう、君のおじいさんだ」

「おじいさん、いたの?そんな人、いるとか、母さんにも聞いてない」

「そうだろうな」

「ふうん」

河野はこれ以上は語る気はないらしい。彼の視線は再び窓に向う。それが悔しくて、敬冶は河野の二の腕を掴んで聞いた。

「おじいさまって、どんな人?ねえ、もしかして僕を落籍させたの?」

「だったらこんな大騒動はやらなくてもいいんじゃねえのか?とにかく、行けばわかる」

「教えてくれたっていいじゃない?」

「行けばわかる」

同じ言葉を繰り返す河野の腕を両腕で掴んで左右に揺さぶりながら、「ねえ」と甘えた声を出してみたが河野の態度は変わらない。

「じゃあ、今まで僕の事を捜してくれなかったのに、どうして急に?」

「おじいさんから聞け」

河野はムスッとして、敬冶の手を払うかのようにして腕を組んだ。そして窓に頭を付けて目を瞑る。

 敬冶はこんなふうにオトコから邪険に扱われた事はなかった。彼は《SWAN》で最も高い値の付く男娼『T』だからだ。

彼が機嫌を損ねて、「今日は休む」と言えば通らない無理はなかった。「ビルの外に出てみたい」、等という外部との接触を願う以外は、支配人は何でも言う事を聞いてくれた。

ビルの中にいる他の少年たちには出来ないが、テレビを観たり新聞や雑誌を読んだりする事も、『T』には許されていた。それはVIPに接する事が多い『T』が、客との会話に困らないようにする為だ。テレビで観たスイーツやお菓子や物を、「欲しい」と言えば届けられるし、衣食住は保証されている。

将来的な不安はない。なぜなら、「男娼」として働けなくなっても生きてさえいれば少年たちの雑用をこなしたり、ホール係として置いてくれるからだ。歳をとれば厨房や掃除を担当するし警備員たちでさえも、以前はここで働いていた者たちだと聞いた。

『T』には毎晩のように何十万円という値が付けられて、オトコたちに抱かれてきた。だが、稼いだ金がどうなったのかは一切知らされない。もし、それが彼の手元に残っていたとしても、使うあてなどないのだけれど。

これまでチヤホヤされる事に慣れていた敬冶には、河野の態度が奇妙でしかたなかったのだ。


 河野に振り払われた手をじっと見て、悔しさが込み上げてくる。敬冶はしつこく河野の腕を掴んで、彼の身体を揺さぶった。声に更に甘さを含ませてせがんだ。

「ねえ!寝ないでよぉ。教えてよ?そうでないと、僕はおじいさんに会いに行かないからね?」

河野はそれでも無視したまま、瞑った目を開こうとはしない。それを見ている飯坂や、助手席の槌屋の方は肝を冷やしていた。河野が「話せない、話したくない」という意思を示しているのに、それに気付かずにしつこくすればいずれ怒りを買うに違いない。

「若はお疲れですから、パソコンで映画を見せてあげますよ」と、飯坂がパソコンを開く。敬冶は漸く自分の甘えた声が河野には通用しない事を悟った。

「いい」

河野から目を逸らし、飯坂の方も向けずに敬冶は口を尖らせて俯いた。そして沸いてくる怒りを、まだ見ぬ「おじいさん」に向けた。

・・・どうして今頃捜すんだよ?もう、「王子さま」でなくてもいいや。自分の好きな所に住んで、自分の好きな所に行って、自由に行動したい。知らない男に身体を好きに弄られてもいいから、自由になりたい。自由でさえあれば、男娼だって構わないさ。僕の願いはそれだけだ。


「降りるぞ」

敬冶は車の緩やかな振動に負けてうとうとしていた。河野の声で起こされた時には、車は薄暗い地下駐車場に停車していた。優しく肩を揺すられた敬冶は、河野の穏やかな声に驚く。

「起きろ」

「えっ・・・ああ、うん」

浅い眠りだったが、眠っていた事が恥ずかしくなり敬冶は目を擦った。河野は敬冶が着ているパーカーのフードを頭に被せた。

「何なの?」

いきなりだったのと、先程の河野の態度が気に入らなかった敬冶は反発した。

「いや、顔が出ないほうがいいからな」、そう言って河野はマスクも渡す。

「どうして?」

「君は自分の顔を鏡で見た事がないのか?」

「毎日見てますけど」

「じゃあ、わかるだろ?お前さんの顔は目立つんだよ」

槌屋がイライラしたように助手席から振り返って言った。河野はそれを軽く窘める。

「槌屋」

「すみません」

「ねえ!あんた、河野さんの子分なの?」

敬冶は不遜な態度で槌屋に聞いた。槌屋は河野に注意されたからか、前を向いたまま答えない。代わりに運転席の大川が振り返って答えた。

「若は『河野組』の若頭だ。若のお父上が『河野組』の組長なんだよ。槌屋さんは若の補佐をしておられるんだ」

大川の顔を見ると、敬冶が思っていたよりも若かった。彼は敬冶と同じ年頃だと思う。年齢が一番近いのは大川で、次が飯坂だと思った。槌屋と彼らは10歳くらいは歳が離れているのではないかと思う。

・・・若は何歳なんだろう。

河野に興味を持っていると悟られるのはよくない。『T』は常に高嶺の花であるべきなのだ。

「ふうん。偉いんだね」

「若」と呼ばれる理由に納得して、敬冶はマスクをするとフードを深く被った。「おいで」と、河野に優しい声で言われて嬉しかったが、敬冶は口を真一文字に結んだまま車から降りた。

*****

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T・7

 敬冶が車から降りると、さりげなく4人が敬冶を取り囲んだ。少し前を槌屋と大川が歩き、河野が敬冶から一歩下がって歩く。背後からはノートパソコンを持った飯坂が付いてくる。端から見れば、あからさまに4人が敬冶をガードしているようには見えないだろう。

「ねえ、どこに行くの?」

「余計な事は言うな。黙って歩け」

河野はサングラスを掛け、飯坂もフードを被っている。大川はキャップを深く被って、槌屋はロイドメガネを掛けていた。4人の間に漂う緊張感を感じながらも、敬冶は口を尖らせた。

「もうっ」

「もうすぐだから、いい子にしてろ」

河野の「いい子にしてろ」という言葉は、子ども扱いされているようで嫌だった。嫌ではあったが、甘やかされている気がして嬉しくもある。

「子ども扱いしないでよ」

「ガキだろ?」

「違う」

口を尖らせ、鼻根に皺を寄せた敬冶はムキになって反論した。

「僕はもう子どもじゃないんだよ?21歳だからね?お酒もタバコもOKなんだよ?」

「すぐにムキになる所がガキだろ?」

河野の声にはからかうような感じがある。それも気に食わない。

「僕にケンカを売ってるの?」

河野の腕を掴んで歩みを止めさせると、槌屋が振り返ってドスの利いた声で「いい加減にしねえか。若に失礼だろうが」と凄みをきかせた。

「怖くないし」

槌屋を睨み返すと、河野が声を立てて笑った。

「あははっ。さすがの槌屋も形無しだな。悪かったな。ここはホテルの駐車場だ。出来るだけ素早く、な?協力しろ」

敬冶の顔を覗き込んでくる河野の声が優しくて口元が緩んでいる。それだけでなんとなく槌屋の態度も許せてしまう。

「・・・うん、ごめんなさい」

素直に謝ると河野は、「槌屋が煩いから置いていくか?」と軽口を利いた。「うん」と頷くと、河野が肩をポンと叩いた。軽いタッチでも嬉しかったりするのが、敬冶は自分でも不思議だった。


 ここで黒いセダンを乗り捨てて、更に車を替える。なぜ何度も車を替えるのかわからなかったが、全ては追っ手の目を眩ます為だと敬冶は理解した。ここまで来たからには、彼らに従う事しかない。

 駐車場に準備されていたのは、白いリムジンカーだった。

「この車、テレビで観た事ある」

「そうか?」

「うん。シャンパンとかあるんでしょう?」

「シャンパンはなかったと思うが、ジュースとビールくらいは入っていると思うぞ」

「へえ」

豪華な車内を珍しそうに見回す敬冶を、河野が微笑みながら見ている。

後部座席は向かい合わせに6人座れるゆったりとした造り。超大型のリムジンではないが、冷蔵庫とテレビも備え付けられていた。大川が運転席に、槌屋が助手席に座り敬冶と河野の向かい側には飯坂が座った。

リムジンが走り出すと、飯坂がノートパソコンを開いてキーを弄る。車内にはキーを打つ音が響いている。

「若、今のところ《SWAN》側の追跡はないようです」

「そうか」

「どうしてわかるの?」

「《SWAN》の車にはGPSを付けてますから」と自慢げに笑いながら、飯坂はパソコンの画面を指差した。赤い点が一箇所に集中している。

「ここが《SWAN》です。ほら、1,2,3,4,5つの点がここにあるでしょう?《SWAN》所有の車5台、全てにGPSを取り付けてあります。ここに集中してるという事は、車が動いていないという事です」

「もしくは、外されたか、だな」

河野の言葉にも飯坂は動じない。

「外したら自爆します」

「おいおい!」

「バンッと派手に音が鳴りますが、車が破損するような威力はありませんから」

「全く。お前、イタズラが過ぎるぞ」

河野は呆れたように笑った。そして「出来るだけ敵は作りたくないんだからな」と言いながら、飯坂の肩がのめり込むくらいに叩く。

「痛たたっ」

飯坂は河野の部下である事は間違いないが、槌屋と河野の関係とはまた少し違うようだ。飯坂の方が、河野ともラフに接している。槌屋に比べれば飯坂は小柄だが、こうして正面から彼の身体付きを見るとかなり鍛えているようだ。

飯坂も河野のボディガードのような役目も担っているのだと思った。

「これくらいなんだよ」

「若、マジで痛いです」

彼らの友人のようなじゃれ合いを、振り返った槌屋が面白くなさそうに見ている。そして、敬冶もそれに加われないのが悔しかった。

「GPSは聞いた事はある」

具体的にどんな物なのかは知らないが、敬冶も横から口を出してみた。すると河野の視線が自分に戻って来た。

「そうか。あんな所に閉じ込められていたから世間知らずかと思ったが。ジュース、飲むか?」

河野に「世間知らず」と言われて、気恥ずかしくなった。実際、自分はテレビのCMで見るようなスマートフォンも持っていないし、パソコンにも触れた事はない。電車に乗った記憶も曖昧だ。

「要らない。ビール」

「それは止めておけ。酔っ払うといざという時に困るからな。走れないと困るんだ。さっきみたいに腰抜かしたりすんなよ?」

「・・・それ、言わないでよ!」

「あははっ、ごめん。可愛いから、つい」

「可愛い」、「綺麗だ」、「美しい」、そういう月並みな褒め言葉は聞き飽きたと思っていたが、河野から言われるのは新鮮だった。

今、自分たちは逃走中なのだという事を忘れてしまう。

「この車、若のなの?」

敬冶が自分を『若』と呼んだのが可笑しかったのか、河野は頬を緩めた。サングラスを外し、ゆったりとした座席に背を預けて足を組んだ。

「いや、レンタルだ」

「レンタル?」

「借り物」

「ああ、そう。若はそこまで偉くないんだね」

「ああ。それに、すぐに身元が特定出来るような車を使うわけがないだろう?」

「ふうん」

「今度は狭くないだろ?」

そう言って敬冶の顔を覗き込んだ河野は笑っていた。だが、笑みを返すのは癪で、敬冶は唇を軽く噛んだ。

「うん」

そこから先は誰も口を開かなかった。静かな車内には重苦しい空気が流れていたが、河野は飄々としている。緊張感を漲らせているのは助手席の槌屋だけだった。


 敬冶たちを乗せたリムジンは高速道路を走っている。渋滞もなく、車はかなりのスピードで神奈川方面へと向っている。

「若、間もなく逗子です」

「わかった」

「逗子」と聞いて、敬冶は嬉しくなった。テレビの中の海しか見た事がなかったのだ。

「そこって、海、あるよね?」

「ああ」

「見たことない」

「そうか」

「イルカ、いる?」

「どうだろうな」

「鮫は?」

「知らない」

「船は?」

「行ってみればわかる」

「うん」

 車は逗子から葉山方面へと向った。マリーナでクルーザーに乗り換え、河野が操縦するクルーザーは10分程で目的の場所に到着した。

クルーザーが近付くと、向こうからライトで合図を送ってくる。クルーザーが近付くにつれて、海沿いに建つ別荘が見えてくる。別荘の地下にクルーザーを停泊させられるようになっており、誰からも見られる事なく5人は別荘の中へと入る事が出来た。

「ねえ、ここなの?おじいさんがいるのは」

「ああ」

とうとう、「おじいさん」に会える。自分を捜してくれていたというからには、優しい人に違いない。

「おじいさん」だから白髪にメガネだろうか、それとも杖を突いているのだろうか。「若」を使って自分を捜させるくらいの権力を持っているに違いない、と敬冶が勝手に想像を巡らしていると、ライトを持った男が出迎えた。

あれが自分の「おじいさん」だろうかと、敬冶はガッカリした。初老の男はスーツを着て身なりは整っているが、敬冶が接してきた政治家や企業経営者たちのような風格がなかったからだ。

どちらかというと、VIPに随っている秘書のような雰囲気しかない。威風堂々とした「おじいさん」のイメージがガラガラと崩れて、敬冶は唇を引き締めた。

「お待たせしました」

河野が初老の男に頭を下げた。

「お待ちしておりました」

男は大川から縄を受け取りクルーザーを係留した。作業が終わると、「こちらへどうぞ」と5人を階段へと案内する。

階段を上ると、まず目に入ったのは床に白いタイルを敷き詰めたサンルームだ。大きな窓に張り付いて目を凝らして見ても、外は真っ暗だ。どこからが海でどこからが陸なのかもわからない。遠くに明かりも見えるが、敬冶にはそれが何の明かりなのかはわからなかった。

「海、見たかったのに」

つまらなそうに窓をコンッと叩くと、河野が敬冶の頭をポンポンと軽く叩いた。

「朝になれば見られるさ」

「そうだね。ねっ、この人がおじいさんなの?」

敬冶は初老の男を指さして聞いた。初老の男は不躾にも自分を指差す敬冶に怒るでもなく、「はははっ」と笑い、「失礼しました」と真面目な顔になり口を閉じる。

「彼は君のおじいさんのお世話をしておられる方だ」

「へえ・・・おじいさんって、お金持ちなの?」

「ああ」

男は気を悪くするでもなく、敬冶を見てニコニコしている。そして、スッと顔を横に背けると目頭を押さえた。

「こちらへどうぞ」

サンルームから広いゲストルームを通り抜けて更に階段を上るが、槌屋はサンルームに残り、大川とはゲストルームで別れた。飯坂だけが一緒に階段を上って河野と敬冶に付いてくる。


 別荘は贅を尽くして建てられた、という感じがした。『T』が客と会う為に準備された部屋も豪華だったが、あそこほどは派手さがない。だが、家具も、調度品も、壁に飾られた絵画も、敬冶には想像出来ないくらいの金額に違いない。今、自分の手が触れている木製の階段の手すりも年季が入ってはいるが、磨かれて艶々している。手触りからして良い物だとわかり、敬冶はそれを自分の事のように誇らしくなった。

「こちらです、どうぞ」

男がノックして「河野さまがご到着です、旦那さま」と声を掛けると中から応えがあった。

「入れ」

「どうぞ」

初老の男がドアを大きく開いた。広い部屋の奥には天蓋付きの大きなベッドがあった。ベッドの背にたくさんのクッションを入れて、もたれ掛かっている老人が読んでいた本をパタンと閉じる。

「河野くん、ご苦労だったね」

「いえ」

河野が短く返事をした。そして、敬冶の肩を押して前にやる。

「彼が加々見敬冶くんです」

「敬冶か?河野くん、間違いなく敬冶なんだな?」

「間違いありません。よくご覧ください、富冶(とみはる)さんによく似ていますよ」

「旦那さま、私も間違いないと思います。富冶さまにソックリですよ。妙子お嬢さまにもよく似ておられます。お美しい坊ちゃまですよ」

「こちらへ来なさい」

「おじいさん」はベッドの上から手招きしたが、敬冶は近付こうとしない。

「どうしたんだ?おじいさんだぞ。会いたかっただろう?」

『会いたい』とは言っていない。敬冶は、自由になれると思って付いて来ただけだ。「おじいさん」が捜していると聞き、どんな人物か興味は持ったが『会いたい』とは言っていない。

敬冶は首を横に振りながら、「別に」と呟く。

「子どもみたいな事を言うな」

河野に背中をトンと押されて、敬冶の身体は前につんのめる。

「だって・・・」

「敬冶、近くに来て顔を見せておくれ」


・・・もっと早く僕を捜してくれれば良かったのに。

そう思うと、自分を捨てた母への怒りが沸々と湧いてくる。

《SWAN》にいた少年たちの中には、はっきりと「自分は親に売られた」と言う者もいた。「もしかして」、ではなく敬冶は確実に母に売られたのだ。母が敬冶の代金としていくら受け取ったのかわからないが、フルーツパフェが母の考える敬冶の値なのだ。

「おじいさん」がもっと早く捜してくれていれば、自分は8年もの時間を失わなかったのに、そう思うと敬冶の怒りはここにはいない母から「おじいさん」へと向う。

 ベッドの上の「おじいさん」は、やややつれてはいるが敬冶が想像していたような白髪ではなかった。髪は黒と白が半々。年齢は70代前半だろう。「おじいさん」は、「おじいさん」と呼ぶには惜しいくらいの美丈夫だった。

*****

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T・8

 加々見富冶(かがみとみはる)と河野大成は星望学園の先輩、後輩の間柄だ。

加々見家は旧財閥系の名家。政治家を多く輩出し、過去には皇族とも婚姻関係のある日本屈指の名家であり、資産家一族でもある。加々見一族は代々美貌で知られている。それというのも、財産の散逸を防ぐ為に血族結婚を繰り返したからだと噂されていた。

加々見富冶の美貌は高等部・中等部の注目の的だった。

『富冶』の名を口にした河野は、甘酸っぱい気分に浸っていた。美しい富冶への憧れを抱いたあの頃の思い出を止めようもなく、河野は自分を睨んでくる敬冶の美貌に見惚れていた。

彼の美しさは異常な程だ。ビルの中しか知らない彼の皮膚は薄く、肌は透けるように白い。顔の造作はこれ以上整いようもないくらい端整で華がある。彼は加々見家の血が作り上げた芸術作品に他ならない。


「敬冶、こちらへ来なさい」

「僕・・・眠いんだけど」

敬冶は祖父の呼びかけに応じようとはせずに、一歩下がって河野の腕を掴んだ。

「どうしたんだ?何度もおじいさんはどんな人か聞いていただろう?そこにいらっしゃる方が、君のおじいさまだ」

「おじいさま・・・かもしれない人だ」

「・・・違う。おじいさま、だ」

「どうしてわかるの?」

「間違いない。君は父親の富冶さんにも、母親の妙子さんにも似ている」


河野は美男美女揃いの加々見家の血の結晶のような敬冶が、彼らの子どもではないとは考えられなかった。富冶の面影を宿した敬冶は、河野の15年前の記憶の中の「富冶」に似ていた。

顔だけではない。気紛れなところも、気の強いところも。

DNA鑑定すれば科学的に敏治と敬冶の血縁関係は明らかになるだろうが、そんなものは必要なかった。富冶のDNAを濃く受け継いだ敬冶は、まさに美の結晶だった。


「でも『たえこ』は違うよ?僕の母の名前は『加々見高江(かがみたかえ)』だよ?」

「自称『加々見高江』だ」

「じしょう?どういう事なの?」

敬冶は血相変えて河野に詰め寄る。

「俺の口からは・・・ちょっと言い辛いんだが」

河野は敏治に目をやった。敏治が河野の視線を受けて頷くと、河野も頷き返した。河野は背後に控えた飯坂を振り返って命じた。

「飯坂、席を外せ」

飯坂は軽く頭を下げて、そっと部屋から出て行く。バタンとドアが閉まった瞬間、河野は大きく溜息を吐いた。

「君を育てた『加々見高江』の本名は、『白瀬高江』。白瀬は妙子さんが生んだ赤ん坊を病院から連れ去ったんだ」

「連れ去った?」

「そう。看護師に扮した白瀬は、白昼堂々と産院から君を誘拐した」

「・・・誘拐?」

「君の行方がわからないまま数年が経ち、《SWAN》という店にいる『T』という存在が耳に入ったのは6年前。加々見家が内密に調査したが、『T』と君の共通点は顔立ちが飛び抜けて美しい事だけだった。君が小柄だったから、《SWAN》は君の年齢を誤魔化していたね?」

「・・・うん」

「君が小柄で幼く見えたから、店は君の年齢を3歳サバを読んだ」

確かに河野の言うとおりだった。敬冶は現在21歳だが、表向きは「18歳」で通していた。《SWAN》自体が合法な店ではないのだから、年齢くらい偽っても構わなかった。敬冶の身体が同じ歳の者よりも一回り小さかったのは、幼い頃の栄養不足が原因だろうと《SWAN》専属の医者が言っていた。

「うん・・・自称18歳だ。他の子は声変わりして声が太くなったりするとダンサーから外されたり、身長が伸びすぎたりした者は警備とか掃除の仕事に回されたりするんだけど・・・僕は声変わりしても声はそれ程低くはならなかったんだ」

「それで、君と『T』が繋がらなかったんだ。決め手がなくて、加々見家も手を出しかねていたんだよ。だが2年前に俺のシマで怪我した少年を、偶然、槌屋が拾った。その少年は《SWAN》から脱出する為に、『窓から飛び降りた』と言ったんだ。『T』が歳を誤魔化していると教えてくれたのは、その少年だ」

敏治は何度か頷くと、「塚原、アルバムを」と言った。ここまで案内してくれた男が、本棚の中から古いアルバムを取り出して敏治に渡した。

敏治はアルバムのページをパラパラと捲り、懐かしそうに写真を撫でる。

「河野くん、続けてくれ」

「富冶さんと妙子さんは従姉弟同士だった。2人の関係はご両親には内緒だったが、妙子さんが妊娠して2人の関係は終わった。妙子さんは当然、富冶さんと結婚出来るものと信じていたが、2人の仲は裂かれてしまった。富冶さんを愛していた妙子さんは一人で君を生んで育てる決心をし、身重のまま家を出たんだ」

「家出、したの?」

「ああ。富冶さんには結婚話が持ち上がっていたそうだ。彼が妙子さんの事をどう思っていたか、俺にはわからないが・・・彼は、その・・・」

河野にしては歯切れが悪い。言い難そうに、視線を敬冶から逸らして敏治を見る。敏治は「私が話そう」と、目を伏せた。

「富冶は奔放な性格だった」

「奔放な性格、だった?」

「ああ。富冶は両刀だった。気に入ったら男女に関わらず誘って肉体関係を持ってしまうのだ。私も手を焼いたよ」

「両刀、って?」

敏治が話していたが、敬冶は河野の袖を引きながら聞き返した。

「つまり、バイセクシャルだ。わかるか?」

「ああ、うん」

「富冶と妙子は中学の頃から肉体関係を持っていたそうだ。妙子は箱入り娘で、初めてを捧げた男と結婚する事を夢見ていたのだ。当時、富冶には皇族との縁談があってな。高貴な方からの申し出に、当家としても断る事は出来ない事情もあった。過去にも皇族の姫宮が降嫁された実績もある我が家は、皇族の姫宮の嫁ぎ先として最適だったのだ。内密に話しが進み、富冶が25歳になってから公表する段取りになっていたのだ。富冶の周囲にいた男女は全て金で話しを付け、私は息子の周辺を綺麗に整理したのだが・・・妙子は頑なでね」


要するに、敬冶は望まれない子どもだったというわけだ。

「おじいさん」が語る「事実」が嘘か、誠か、敬冶にはわからないが、『母』と信じていた女が『実母』ではないという点だけは合点がいった。

「どうして学校に行けないのだ」と聞くと、「お前には戸籍がないからだ」と答えた母は淡々としていた。子どもだった敬冶には「戸籍がない」という意味がわからなかったが、良い子にしていれば母が買ってくれるかもしれない、等と甘く考えていた。

敬冶が母の言いつけを破って外に出る事を、母は一番嫌った。周辺の人々に敬冶の存在が知られるようになると、母は引っ越しを繰り返した。


「僕は・・・生まれてはいけなかったって、事?」

敬冶の頬が青ざめている。自分の出生の秘密を知り、ショックを受けたのか瞳が揺れている。赤かった唇が色を失くし、勝気そうな瞳が人形のそれとかわらなくなる。

今にも泣き出しそうな敬冶を抱き締めてやりたい。河野は敬冶の肩に手を置いたが、敬冶は身体を揺すって触れるなと、意思表示をした。

「敬冶くん?」

「・・・」

「大丈夫か?ベッドの横に椅子を準備しよう。なっ?」

河野が哀れみを込めて敬冶を見た。敬冶が欲しかったのは、そんなものではない。

「そんな目で、僕を見ないで。僕は・・・可哀相な子じゃないんだから」

「すまない」

敏治は敬冶を手招きした。

「おいで、お父さんとお母さんの写真を見せてあげよう」

「・・・うん」

写真は見たかった。『母』と思っていた女が、なぜ自分を誘拐したのか理由はわからなかったが、悪意でしかないと思う。『産みの母』が生きているのなら会ってみたい。


 塚原が椅子を準備してベッドの横に置いた。敬冶が素直に座ったのを見て、敏治は満足そうに微笑んだ。敏治の眼差しが柔らかくなり、初めて会った「孫」に温かい光を注ぐ。

「これが富冶だ」

敏治が指差した男性は、黒いスーツに落ち着いたグレーのネクタイを締めている。椅子に腰掛けて、を組んだ彼は、艶やかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。もう一枚は、椅子の背に手を置いてポーズを決めている。

「成人式の時の写真だ。敬冶と同じ年頃だね」

「はい」

「よく似ているだろう?」

「・・・」

急に返事が出来ない程、写真の中の「加々見富冶」は自分と似ていた。敬冶は目の前の写真と敏治を見比べながら、一つ一つ確認していく。

綺麗な鼻筋は敏治と富冶、敬冶、3人に共通している。目は少しずつ違うが、パッチリとした二重瞼は富冶と敬冶に共通している。富冶は眉が下がり眉だが、敬冶はキリッとした眉だ。敏治の眉は敬冶と似ている。

確かな血の繋がりを感じる3人の顔。

「これが・・・お父さん?」

「そうだ」

「お母さんは?」

「妙子は・・・ここだ」

アルバムを何枚か捲り、敏治が指差したのは一族の集まりで撮影されたらしい一枚だった。5、60人が広い階段に並びこちらを見ている。中央辺りで微笑む美しい人は着物を着ていた。

「顔、よく見えないじゃない」

「家にあった妙子の写真は処分してしまったから、これしか残っていないのだ」

「そう」

目を凝らして集合写真を見る。中央に、若い頃の敏治と富冶が並んで座っていた。妙子は富冶の斜め後ろにすまし顔で敬冶を見ていた。

「綺麗な人」

「ああ、そうだな」

「2人はどこにいるの?会いたいんだけど」

やっとここまでたどり着いた敬冶に会いに来ない薄情な両親を恨みながら、敬冶は敏治を睨む。

「・・・富冶は結婚したが、事故死した。君を失った妙子は半狂乱で自宅に連れ戻された。何年経っても君は見つからず、親が説得してとうとう他家に嫁いだよ。だが・・・富冶を追うように、自ら命を絶ってしまった」

「2人とも、もういないんだね」

「ああ、残念だが」

「そうか」


両親の死を知っても、悲しいとは思えなかった。会った事もない両親よりも、誘拐犯の「高江」の方が親しみがある。何と言っても、自分を育ててくれた事には変わりないのだ。

高江は冷たかったが、機嫌を損ねさえしなければ殴ったりする事はなかった。時々男をアパートに連れ込み、その度に敬冶を押入れに詰め込む。敬冶は息を潜めて高江と男の睦み事が終わるのを待っていた。

高江がどうして敬冶を誘拐したのかわからない。少なくとも、加々見家に金を要求したりはしなかったようだ。

「あなたは、どうして僕を捜したの?」

「敬冶を正式に、加々見家の次期当主として迎えたいのだ」

「僕、が?」

「ああ、そうだ。私の直系は、敬冶しかいないのだ」

敏治は力強く頷いた。 

*****

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T・9

 加々見敏治は、長年捜し続けてた「孫」を目の前にして過去を悔いていた。

敏治の弟の娘・妙子が生んだ男の子は、看護師に扮した白瀬高江によって産院から連れ去られた。妙子の妊娠がわかった時に、進んでいた縁談を断って富冶と妙子を結婚させていれば、敬冶は悲惨な8年間を送らずとも済んだのだと思うと、敏治は自責の念を拭いきれない。

アルバムを捲りながら、今は亡き「父」を他人のような目で見ている青年が部屋に入って来た瞬間に、敏治は彼が『加々見敬冶』であると敏治は直感した。DNA鑑定などは必要ない。彼の身体中を巡る血が、それを教えてくれた。


 白瀬高江は富冶が大学時代に、たったの数週間「恋人」と呼んでいた女だった。いや、富冶が「恋人」と呼んでいた中の一人と言うべきだろう。

白瀬は富冶の行動を監視したり、どこにいるのか、誰といるのかとしつこく聞く嫉妬深く、疑り深い女だった。見た目は確かに美しい女だったが、加々見家とは不釣合いな家に生まれた白瀬高江は、富冶の一時の遊び相手の一人に過ぎなかった。

やがて彼女は、奔放な性格の富冶に飽きられ、捨てられた。

 白瀬は敬冶を連れ去ったが、身代金を要求するわけでもなく、赤ん坊を連れて姿を消した。誘拐した理由はわからない。今になって思えば、『白瀬高江』ではなく『加々見高江』と名乗っていた事が、彼女の真意だったのかもしれない。場末のバーやスナックを点々とし、何度も居を移しながら白瀬は十数年間を逃げ延びた。

弟夫婦もまた、望まぬ「孫」の存在を公にするつもりなどなく、赤ん坊が生まれたら即、妙子から引き離す算段をしていたところでの誘拐だった。これこそは天の配剤とばかりに、『敬冶』の存在を闇に葬って口を噤んだのだった。

 富冶は、子を生したからと言って妙子だけを愛していたわけではない。もし彼らが結婚していたとしても、富冶の奔放さは変わらなかっただろう。しかし、少なくとも敬冶には、加々見家の後継者としての明るい未来が約束されていたに違いない。

《SWAN》といういかがわしい店に「敬冶」がいるらしいと聞いた時は、ハンマーで頭を殴られたような気分だった。白瀬の情の激しさに、背筋が凍るような思いがした。

富冶の子どもを宿した妙子への嫉妬。子を産んだ事で富冶を永久に手に入れるかもしれない妙子への憎しみを、赤ん坊へと向けたに違いない。

 白瀬は看護師を装って妙子から敬冶を受け取り、「沐浴させる」と言って病室から連れ去った。その後も、加々見家に金銭を要求する事はなく2人の消息は杳として知れなかった。

敏治もその時点では「厄介払いが出来た」、くらいにしか思っていなかった。それが敬冶の発見が遅れた要因でもある。加々見家が本気になれば、2日もあれば敬冶を取り戻せていたはずだ。だが、妙子の両親は2人の捜索に手を尽くすフリをして、未婚の妙子と家名を守った。

その為、誘拐は公にされる事もなかった。

白瀬がすでに、敬冶を殺してしまったに違いない。それが敏治、富冶、弟一家の一致した見解だったのだ。

産後の妙子を別荘で療養させ、敬冶の事は『なかった事』にして他家へと嫁がせた。そして、何事もなかったように宮家との婚姻を進めた加々見家は、醜聞を飲み込んだ。富冶は晴れて華燭の典を挙げた。

 だが軋む運命の輪は、歪なままだった。

妙子は結婚後も秘かに富冶を想い、白瀬と敬冶の行方を捜し続けていた。やがて彼女は精神疾患を発症し、婚家から実家に帰された。富治も表面上は真面目な婿を演じていたが、元々奔放な性格の彼が結婚したからと言ってその性格が直るわけではなかった。

愛人を連れて旅行中に列車事故に遭い、長くはない一生を終えた。そうなってはじめて、敏治は加々見家の後継者がいない事に気が付いたのだ。


「僕が?加々見家の、次期当主?何を言ってるの、おじいさん」

敬冶は敏治の言葉に耳を疑った。目の前の初老の男の口から飛び出してきた言葉の意味がわからずに、キョトンと目を丸くする。

「富冶の息子に、加々見家を譲りたいのだよ」

敬冶はわけがわからずに、河野を振り返って見た。河野は言い難そうに口を歪め、口を開く。

「そういうわけなんだ。富冶さんは結婚したが、子どもはいなかった。富冶さんの奥さまは東京の本宅に残っておられるが、君が見つかれば養子縁組しても良いとおっしゃっているそうだ」

「・・・バカ、じゃないの?」

敬冶の中に燻る苛立ちや憎悪が増していく。「加々見富冶」の奔放さに振り回され続けた人々の、業を一身に引き受けたのは幼い自分だったのだ。

目の前の「おじいさん」は、自分が生まれなければいいのにと思い続けていたに違いない。自分へ向ける眼差しには憐憫が籠もっているが、愛情は感じない。

「敬冶、今まで辛い思いをさせてすまなかったな。おじいさんと暮らそう。今まで出来なかった事や行けなかった所、買えなかった物。何でも君の意のままだ」

「・・・」

「そうだ、おじいさんと旅行に行こう。勉強しながらクルーズ船で世界一周はどうだ?家庭教師を連れて行けばいい」

「・・・」

「好きな食べ物はなんだ?塚原がすぐに準備してくれるぞ。遠慮なく言いなさい」


そう言えば、人の心は靡く。これまでの事は水に流して、敬冶が「うん」と言うに違いない。敏治はそう思っていた。

「うん」と言えば、加々見家の財産や権力、それらを全て受け継ぐ事が出来る存在となるのだから。


「学校にも行っていなかったそうだな?行きたいだろう?おじいさんが学校に行かせてあげよう。妙子が生んだ息子を海外で育てたと言えば、誰も何も文句は言わない。いや、言えないだろう」

敬冶は返事をしなかった。だが、急な運命の変転に思考が付いて行けないのだろうと勝手に判断して、敏治は続けた。

「大学は星望が良いな。河野くんもそう思うだろう?加々見家は皆、星望学園出身なんだよ」

河野も急に話しを振られて戸惑っていた。敬冶には、独りよがりの男の言葉を信用する事は出来なかった。

「バカじゃないの?僕は・・・『T』という男娼だったんだよ?」


ただの男娼ではない。『T』を巡って毎夜のようにオトコたちの欲望が交錯していた《SWAN》は、高級店だったが所詮は売春宿なのだ。『T』が高額で落札される存在だったとは言え、落札者に口汚く罵られた事もある。ナンバーワンだろうが何だろうが、所詮は卑しい存在でしかないのだと思い知らされた事は数え切れないのだ。

それに自分の顔は会員たちに知られているのだ。彼らは加々見家次期当主として現れた『T』をどう受け入れるのか、予想が付かないんだろうか。

敬冶が『T』だった事実を、どう『なかった事』にするというのか。


「君にはそんな過去はない」

敏治は胸を張った。しゃあしゃあと言ってのけた敏治は、日本屈指の名家・加々見家の当主としての威厳を示すかのように顎で塚原に合図をした。塚原は準備していた箱を取り出して、中身を敬冶の前に並べる。

「こちらはスイスの寄宿学校の卒業証書でございます。これが敬冶さまの戸籍謄本でございます。それから、語学の勉強が早急に必要となります。明日にでも東京の富冶さまの奥さまと養子縁組して頂きましょう。早急にパスポートを準備致しますから、海外で英語、フランス語、ドイツ語を学んで頂きます」

敬冶は目の前に並んだ封筒や書類には目もくれずに、塚原を睨んだ。

「バカな、こと、言わないでよ。おじさん」

「おじさん」と呼ばれた塚原は、「塚原とお呼びくださいませ」と恭しく頭を下げる。

「何の話し?僕は・・・そんな」

「バカな事?何の話しだ?敬冶こそ、何を言っているのだ?『T』とは何の事だ?」

真面目な顔で敬冶の過去を『なかった』と言い切る敏治を、敬冶は呆れた顔で見返した。

「礼儀作法もマナーもカリキュラムの中に組み込んでございますから、ご心配なく」

敬冶には嫌味に聞こえたが、それは敬冶にではなく敏治への言葉だった。それを聞き、敏治は鷹揚に頷いた。

「塚原に任せよう」

「はい。お任せくださいませ」

「僕は・・・僕は、《SWAN》という所で、男娼をしていたんだ!毎晩、オトコたちに落札されて、あんたのような金持ちの欲望を満足させていたんだよ!客の中には政治家もいた、大きな会社の社長もいたし世界的に有名な賞をもらった大学教授もいたよ!芸能人もいた、ハリウッドの有名な俳優だって、大臣だって、中東の王族もいた!」

「それがどうした?」

敏治の堂々とした一喝に、敬冶は怯んだ。

「『T』は今夜の騒動で死んだのだ。赤ん坊の『加々見敬冶』は誘拐犯から取り戻され、幼少期からスイスの全寮制の学校で学んでいたのだ。それが『正しい』事実だ」

「正しい?」

「そうだ」

「違う!おじいさんは、そうすれば良かった、って思った事を、言ってる、だけだよね?」

「違う。そうしたのだよ、我々は」

「頭、おかしいんじゃないの!?」

思わず立ち上がった敬冶を、河野は押し留めた。河野の手を振り払って部屋から出て行こうとする敬冶の腕を掴み、河野は敬冶を座らせた。

「座れ。話しを聞くんだ」

「僕、帰る」

河野は気の毒そうに敬冶の肩に手を乗せた。

「《SWAN》へは戻れないぞ。《SWAN》は全てを消しさるだろう。ナンバーワンの『T』は突然死亡した。今までも、あそこから消えた少年はそうだった」


その言葉は、敬冶を深くキズ付けた。

河野までもが、『加々見敬冶』は幽霊のような存在だと思っているのが悔しかった。《SWAN》で生きるしかなかった自分に、新しい世界を見せてくれるはずの河野を信じたのは、間違いだったのだろうか。


「僕は、僕は・・・いない人間なの!?」

「・・・残念だが、そういう事になる」

戸籍もない敬冶は、最初から「いない」のだ。それを知って呆然とする敬冶に、敏治は告げた。

「『加々見敬冶』は生まれ変わったのだよ」

自慢げに微笑む敏治を、敬冶は睨み付けた。

「バカじゃないの!?」

「事故で足を怪我してから自由に歩き回る事は出来ないが、杖を突けば歩ける。頭はすこぶる正常だ」

「あんたたち、本気なのか?」

「本気?加々見家には、本気になれば間違った事も、『正しい』と言い切れるだけの力があるという事だよ。加々見の影響力は大きい。現職の総理大臣の首を挿げ替える事等は、朝飯前だ」

「そんな・・・。母さんは?母さんは、どこにいるの?」

「妙子は死んだ」

「違う!お母さんだよ!僕を喫茶店に置いて行った、『加々見高江』だよ!」

「あの女は、すでに死亡している」

「死亡・・・あんたが、殺した、の?」

怒りと戸惑いで紅潮していた敬冶の頬から、血の気が引いた。

「私ではない。《SWAN》の連中だ。君は誘拐犯の白瀬を『母さん』と呼ぶのか?あの女は《SWAN》に君を売り飛ばした後、我々が本腰入れて『敬冶』を捜し始めたと知ると、《SWAN》に忍び込んで君を連れ出そうとした」

「お、母さんが?」

「白瀬が《SWAN》に君を売ったのは、最も有効な復讐を果たしたかったからだ。だが、君が《SAWN》にいるとわかれば、跡継ぎを亡くした私が連れ戻す為に力を尽くす。そうなれば、『敬冶』が莫大な財産と権力を引き継ぐ事になるだろう。唯一、富冶のDNAを受け継ぐ妙子の息子をそうさせたくなかったのだよ、あの女は」

「僕・・・もう、眠い」

《SWAN》にいた時のように毛布に包まって、膝を曲げて丸くなって眠りたかった。

*****

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T・10

 案内されたゲストルームは海に面しているようだ。微かに聞こえてくる波音が、遠くに来てしまったことを教えてくれた。


 朝になればこの別荘にも4人の使用人が出勤してくると聞いたが、今はひっそりとしていた。深夜の別荘の廊下は灯りも少なく、ますます寂しい感じがして敬冶は馴染めないでいた。

別荘全体の広さはわからないが、2階には他にも5、6部屋あるようだ。その中の一室に案内されて、敬冶は大きく深呼吸した。

 「別荘の中は明日ご案内します」と言って、塚原は下がっていった。河野はその場で「帰る」と言ったが、敬冶は袖を掴んで離さなかった。一人で置いて行かれるには、まだ気持ちが定まっていない。

「帰らないでよ。怖いよ、こんな広い部屋」

今までは常に誰かの気配を感じるような生活を送っていた敬冶にとっては、狭くても人気のある所の方が居心地が良かったのだ。

「落ち着かない、か」

「うん」

敬冶はカーテンを開けた。《SWAN》の小さな窓を開けて風を感じるのが好きだった。チチチッと鳴きながら飛び去る鳥を羨ましいと思っていた。今、自由な鳥になってわかったことは、自由に飛び回る鳥にも不自由は付いて回るということ。

窓の外には何も見えない。広いルーフバルコニーの向こうには真っ黒な海が広がっているだけだ。遠くに見える明るい所がクルーザーが出発したマリーナだろうか。波音を聞きながら、敬冶は数時間前にいた場所に戻りたくなる。

「僕に、『世界が開ける』って、言ったよね?」

敬冶は苛立ちを隠す事無く、窓を叩きながら河野に文句を言った。

「ああ、言ったな」

「嘘吐き」

ガンと窓ガラスを叩く音が部屋に響いた。

「嘘じゃないだろう?君は《SWAN》から解放された。自由を手に入れたじゃないか?新しい世界が広がった、そうは思わないか?」

「自由じゃないよ!世界が開けるんじゃなかったの?勝手に加々見家の跡を継げとか言われてさ!僕だってやりたいこと、あるんだからね!」

「やりたいことがある」とは言ったが、敬冶は自分でもそれがないかわかってはいなかった。

「自由じゃないか。自由だ」


確かに『自由』を手に入れた。だが、敬冶の未来は限定されている。

「加々見」という家門がどんな存在であるのか敬冶にはまだ理解出来ていないが、敏治の態度や話しぶりから相当な権力と財産を有しているに違いない。鷹揚で高圧的な態度は、《SWAN》の客たちに通じるものがある。

だが、地位や財産を手に入れたからと言って、「自由」とは言えない。確かに「世界」は広がったが、敬冶の思っていた「自由」とは違ったのだ。


「条件付きでね」

「まあな」

「今までと同じじゃないか?僕は好きな所に住んで、好きな所に行って、好きな事をして、自由に暮らしたいんだよ」

河野はソファーに座ると、長い足を組んだ。

「じゃあ、君が住みたい所はどこだ?」

「・・・そんなの」

「君が行きたい所はどこだ?」

「・・・外国とか」

「外国に行って何をしたいんだ?」

「・・・急に言われても・・・わからないよ!」

「じゃあ、君はどこに行って何が出来ると思っていたんだ?あのまま《SWAN》にいても籠の鳥だ。加々見家に迎えられれば、君は自由を手に入れられるじゃないか?」


敬冶は、河野に追及されて自分の言う『自由』がいかに具体的ではなかったかを感じてガッカリした。

自分が《SWAN》から解放されたら何をしたかったのか、敬冶にはわからなかったのだ。帰る場所のない敬冶には、《SWAN》を出ても行く当てなどなかった。あそこを出たからと言って、敬冶には目的も目標もない。

諦める事しか知らなかった敬冶にとって、自分が「やりたい事」を見つけるのは難しかった。敬冶の思う自由とは「今の状況は違う」と感じているが、具体的な「望み」はないのだ。


「いいか?君は《SWAN》という小さな世界しか知らない。それ以前は、白瀬高江と2人だけの世界だった。違うか?」

「・・・」


本当の事を言われて言い返せない悔しさに、敬冶は唇を噛む。

オンボロアパートの隅っこで、「母」の帰りを待つのが敬冶の役目だった。部屋から出ると「母」に殴られる。「母」が自分を愛していると感じた事は無かったが、「母」がいなければ、敬冶は何をしたらいいのか、どうやって生きていけばいいのか全くわからなかったのだ。「母」が戻らなければ、敬冶は部屋で飢え死にしていたに違いない。

敬冶の強張った表情を見た河野は頬を緩ませた。だが河野の表情の変化が、敬冶の新たな怒りを生む。敬冶は再び真っ暗な海に向った。打ち付ける静かな波音でさえも、自分をバカにしているようだった。

だが、河野はその背中に容赦なく厳しい言葉を投げ付けてくる。


「ここが君が望むような所ではなかったと言うのなら、すまないと思う。ここに着くまでに君にも色々と説明してあげたかったが、加々見さんからの要望で君には何も伝えなかったんだ。だが、加々見家が気に入らないからと言って、君が外の世界に出てやれる事は何だ?一人では電車にも、バスにも乗れないんじゃないのか?白瀬は君をアパートの部屋から出さなかったと聞く。君は買い物をした事があるのか?加々見の家を出て誰を頼るんだ?金は持っているのか?どこに住むんだ?生きていくには金が必要だ。それを得るには働くしかない。どうやって働く所を見つけるんだ?働くには君の経歴が必要なんだぞ?どこで生まれて、どこで育ったか、誰が父親で誰が母親であるか、家族は何人いるのか。どこに住んでいるのか。働く所に全てを知らせなくてはならない。何もない君に出来るのは、またその身体で稼ぐ事だけだ。今度は高級男娼『T』としてではない。ハッテン場や公園でヤられるしかないんだぞ。それで得られる対価は『T』の値の百分の一だ。そういう生活が君の望みか?」


敬冶はぐうの音も出ない。テレビや新聞、雑誌で得た情報しかない敬冶には経験がない。そして準備された戸籍も、ここから逃げ出せは無くなるだろう。

現実は甘くない。《SWAN》の中の王さまは現実世界では無力な塵だ、という事を敬冶は知らなかったのだ。

彼はこの世には『いない』存在だからだ。


「そんな・・・」

厳しい現実を突き付けられて、敬冶は言葉が見つからない。客には気の利いた台詞が出てくるのに、河野には歯が立たない。それが腹立たしくて、敬冶は窓を叩いた。そして、心を滾らせたまま河野に向き合った。

「いいか、加々見さんの言う事には俺も同意しかねる所はある。だが、君が言う『自由』を手に入れるのは容易な事ではないんだという事を、覚えておけ」

真剣な顔付きで、河野は敬冶を見詰めている。出会ったばかりの彼の言葉は敬冶には新鮮だった。彼は、本気で敬冶の事を考えてくれているのだと感じられる。

「河野、さん」

「君は学ぶべきだと思う」

「おじいさんと2人で旅行しながら?嫌だよ」

「そうではない。おじいさんが用意する優秀な家庭教師から学べばいい。一日も早く外の世界に慣れるように努力しろ」

「努力?」

「ああ」

それを手伝ってくれればいいのに、と敬冶は河野に縋るような気持ちで近付いた。河野は敬冶の視線を受け止め、受け流す。

「君は生まれたての雛とかわりないんだよ。このままでは外の世界には出られない。世の中の人々全てに、君のその悩ましい眼差しが通用すると思うな」

『T』の上目遣いの視線と甘えた声を客は喜んだ。河野もそれを喜ぶと思ったのだ。オトコたちのように機嫌を取ってくれると思っていたのだ。

「冷たいんだね」

「冷たい・・・か。ああ、俺は冷たいよ。カタギじゃねえからな。依頼された仕事も終わった事だし、帰るとするか。じゃあな。いい子はお寝んねの時間だ」

河野は笑いながらソファーから立ち上がった。

「どこに行くの!?」

「帰るんだよ。槌屋を待たせている」

「待ってよ!一人にしないでよ!」

敬冶は、部屋を出て行こうとする河野を追い掛けて腕を掴んだ。ここでは「おじいさん」と塚原という男しか知らない。敬冶の不安が増していく。ここが安心出来る場所なのかもわからないのだ。

「帰らないでよ!怖いよ!」

「俺は極道だ。加々見さんには以前、世話になった事がある。だから今回は手を貸した。君はここにいれば安全だ。君には誰も手を出せない。怖い事等、なにもない。《SWAN》はもう君を追わない。君が加々見家と関係があるとわかれば、一切関わらないだろう」

「そんなことじゃなくて!僕は・・・どうしたらいいんだよ!」

「頑張れ」

河野は困ったように微笑んで、ポケットに手を突っ込むと敬冶の頭をポンポンと叩いた。

「すまない。俺の仕事はここまでだ」

腕を掴んでいた敬冶の手をゆっくりと外し、河野は部屋を出て行こうとする。

「待ってってば!」

「なんだ?おやすみのキスでもして欲しいのか?」

ニヤニヤして言う河野の表情にも口調にも性的なニュアンスはなく、幼い子どもを相手に宥めているかのようだった。

「キスはどうでも良いけど・・・僕が眠るまで、ここにいてよ。それくらいは責任とってよ!」

「責任?俺が始末しなければならねえようなもんじゃねえがな」


駆け寄ってきて河野の袖を掴んで放さない敬冶を、愛しく思う。それは不思議な感情だった。だからこそ、口調を変えた。自分は裏社会で生きる極道なのだと、敬冶に思い出させる為に。

・・・こんなガキ相手に、俺もどうかしてるな。

敬冶の持つ妖しい色気と子どものような危なっかしさ。それが河野を刺激していた。


「来い」

「うん」

手を差し出すと、敬冶は素直に河野と手を繋いだ。

まだ子どもなのだ。身体だけは早熟で艶やかに花開いているように見えるが、彼の心はまだ赤ん坊なのだ。

21歳と言えば、世間一般的には大学3年生、もしくは社会人としてスタートを切っている年頃。大川とは年齢が近いはずだ。彼と比べても敬冶は幼い。3つ、歳を誤魔化していたという事情もあって、本人がそう装っているのかと思ったが違うようだ。

これは彼の持って生まれた性分。それは彼の父・加々見富冶にも共通しているものだった。

加々見富冶の奔放な交友関係は、星望学園中・高等部では誰もが知っていた。男女に関わらず、上級生だろうが下級生だろうが、富冶は気に入れば声を掛けてベッドに誘った。

彼の淫蕩な血が、敬冶にも受け継がれているのかもしれない。


「添い寝してやっから、眠れ」

「うん」

「朝になったら、おじいさんたちにはちゃんとご挨拶しろよ?わかるか?」

「うん。それくらい、知ってる」

敬冶は素直に準備されていたベッドに入った。

「河野さんは?」

「ああ」

河野はジャケットのままでベッドに横になった。

「布団、入らないの?」

「ああ」

ふわふわした気持ちの良いダウンの掛け布団は、敬冶の身体にピッタリと添って温かい。布団越しに河野の体温を感じて、敬冶は漸く安堵した。

「気持ちいいね、このお布団」

「ああ、最高級のダウンだな」

河野はダウンケットの手触りを確認しながら言った。河野がしたように敬冶もその手触りを確認してみたが、《SWAN》のVIP室にあった物と似たような肌触りだ。

「ふうん」

「目を瞑れ」

「あのね」

「なんだ?」

「僕、ここは、好きになれない。おじいさんも」

「好きになれないか」

「だって・・・僕の事は忘れてたんだよ、きっと。結婚したお父さんに子どもがいたら、僕の事はどうでも良かった、って感じだったでしょ?」

「・・・」

はっきりと「違う」と言ってやりたかった。

だが、敏治自身が語った言葉の中に『ずっと捜し続けていた愛しい孫』という気持ちは籠められてはいなかった。河野も敏治の言葉を、『富冶のたった一人の遺児』としか受け取れなかったのだ。そして、敬冶もそれを敏感に感じ取り反発している。

愛情などすぐに湧くものではない。だが、敏治の言葉からはそれの欠片も感じなかったのだ。

「ねっ?河野さんもそう思うでしょ?」

「バカな事を考えてないで、眠れ」

河野の大きな手が伸びてきて、敬冶の目を覆った。

「疲れただろう。朝になって考えろ」

「うん。また来てくれる?」

「ああ」

「本当に?僕が呼んだら、来てくれる?」

「ああ」

「絶対だよ?」

目を覆う河野の手の平から、じんわりと身体中に温もりが広がっていく。

 初めてあった祖父、初めて会った河野。もしかしたら自分の事を考えてくれているのは、祖父ではなく河野なのではないのだろうか、敬冶はそんなふうに考えていた。

*****

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敏治、富冶、敬冶。時々、3人の名前が入れ替わってたりするwww今のところ、間違ってないと思うのですが・・・。

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