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『夢見月夜曲』は日高千湖のオリジナルBL小説ブログです。

さやさやと流るるが如く・1

 毎朝、同じ時間に家を出て、同じ電車に乗る。車両も同じ。事故や荒天など突発的な出来事がない限り、俺はそれを繰り返す。

判を押したような生活をしていると、駅のホームにも顔馴染みの一人や二人は出来るものだ。互いに朝の挨拶したり声を掛けたりはしないが、目が合った時に軽く会釈すると向こうも会釈を返してくれたりもする。

だが会釈を交わした人が隣に立ったとしても、特に会話などは無い。どちらかが声を掛けるわけでもなく、ただドラマのエキストラのように互いの人生には一切関る事なく、数十分間の満員電車の旅を共にするわけだ。

言うまでもなく、昨今は目が合っただけでケンカになったり、怪我をさせられたりという不穏な事件も多いわけだから、目が合っても互いの存在を認めないかのように目線を逸らす場合がほとんどだけどね。

 今朝もいつもの時間に部屋を出て、いつものペースで駅まで歩き、改札を抜けてホームに立っている俺は、もうすぐ到着する電車を待っている。退屈しのぎに階段の方に目をやると、急に場が華やいだ。

「あっ・・・」

"彼"が息を弾ませながら階段を上ってくる。放射冷却の影響で、今朝の気温は8度。ここ1、2週間で軽めのコートの人が多くなったが、今朝は冬用の重いコートを着ている人が多かった。

"彼"も半月前まで着ていた、チャコールグレーのコートに黒いマフラーを巻いていた。そんな地味で普通の服装なのに、"彼"は目立つのだ。

何と言うのか、確かに男性だが美しいのだ。スーツを着て、ネクタイを締め、革靴を履いた姿は確かに男性だ。だが、彼の後ろから来た化粧した女性よりも遥かに美しいのだ。

いや、神々しいまでに美しい。"彼"が富士山の天辺だとしたら、後ろの彼女は3合目。おっと、失礼。

 肌は透けるように白く滑らかで、ファンデーションで整えられた人工的な肌では及びもしない。首元の黒いマフラーが、その美しい顔を更に引き立てている。

頬がほんのりと上気して、シュッと刷毛で朱を刷いたようにナチュラルな美しさを放っている。

また立ち姿がいい。周囲の人々が俯いてスマートフォンから目を離さない中、彼は両手で前にカバンを持ち、いつも真っ直ぐに前を向いている。凛とした姿が好ましくて、俺もそれを真似て余程の事がない限りスマホはポケットの中にしまっている。

 冬色に変化した駅のホーム。

黒やグレーといったダークなカラーの集団によって、暗く陰鬱な雰囲気なのだが"彼"の周りだけは妙に明るい。"彼"はその美貌と、凛とした立ち姿ゆえ目立つのだ。

俺が並んでいる列の隣の列の一番後ろに並んだ"彼"。それを振り返って見ている不躾な視線に気が付いたのか、"彼"がこちらを見返した。

しまった・・・。

その瞬間に"彼"の瞳と俺の瞳は線で繋がれ、心をヒリヒリさせる"彼"の視線をもろに受け止めてしまった。するとどうだろう。"彼"は俺を見てスッと頭を下げたのだ。

彼は"俺"を認識していた。平日は毎日、同じ時間、同じ電車、同じ車両に乗る俺を"彼"は"知っていたのだ。

「・・・えっ」

思わず声が出たが、前の学生も隣のサラリーマンもイヤホンをしているから聞こえない。驚きのあまりに視線を逸らせずにいると、大きな瞳がまだこちらを見ていた。

慌てて会釈を返すと、"彼"がわずかに口元を綻ばせた。

「えっ、噓」

微笑んだ。

初めて見た笑顔。

・・・あんな顔して笑うんだ。

いつもはキュッと唇を引き結んで真っ直ぐに前だけを見ている"彼"が微笑むと、そのパンチ力たるやメガトン級だ。

電車がホームに滑り込む。いつもなら満員電車の到着を憂鬱な気分で迎えるが、"俺"と認識して彼が微笑んだ。ただそれだけで、今日は良い事がありそうな予感がしてならなかった。


「おはようございます」

この時間のオフィスはまだ閑散としている。

俺は"彼"の笑みの余韻に浸りながら、自分のデスクにバッグを置いた。電車を降りたらコンビニでパンを買い、会社のコーヒーを飲みながら食べる。それがいつものルーティンだ。

今朝はお気に入りの塩パンとメロンパンが買えて、気分は上々。

 袋からパンを取り出していると、奥の給湯室から「おはようございまーす!」という軽薄そうな声が聞こえてきた。

給湯室から出てきたのは、同期の下津浦明鷹(しもつうら あきたか)だ。明るい臙脂色のネクタイを肩に跳ね上げ、下津浦は俺を見つけるとニヤニヤしながら近付いてきた。

「よう!永瀬。何か、いい事あった?」

下津浦は2つ持っていたコーヒーの1つを、俺の机に置いた。

「サンキュー。別にいい事なんてないよ」

下津浦はニヤニヤしながら、隣の席の椅子を引っ張り出して座った。

「そうか?」

「あったら自慢してる」

お前には教えてあげない。

「あははっ。パン、一個恵んで?」

「嫌だ。まだ時間があるから買ってこいよ」

俺は下津浦の手が届かないように、机の隅にパンを置いた。

「コンビニ、混んでるじゃないか」

甘えるように上目遣いで俺を見たが、甘やかしてはいけない。つけ上がるだけだ。

「並べ」

「メロンパン、食いたかったなあ。半分!」

「ダメ」

キッパリと断らないと、この男は図々しいから勝手に取って食ってしまうのだ。

 俺の出勤時間は定時よりも30分早い。それは一番激しいラッシュ時を避ける為である。

だが下津浦は、親に買い与えられた会社名義のマンションから徒歩で通勤しているにもかかわらず、始業時間ギリギリに滑り込みセーフだ。そんな彼が俺よりも早く出社してるなんて入社以来の珍事だ。

「今朝は早いじゃないか、跡取り息子」

嫌味を込めて言うと、下津浦は急に真面目な顔になった。そして俺を手招きすると周囲を見回し、近くに人がいないのを確認する。

「ほら、例の『江原商店』の件で」

詳しい事情は聞いていないが、数ヶ月前から取引先の『江原商店』からの入金が遅れていた。

担当から「会社がもぬけの殻になっている」と一報が入ったのは、俺が退社する直前だった。それを聞いた営業部は、蜂の巣を突いたような騒ぎになっていたっけ。

ちょうど退社時間だったから、営業部以外の者は触らぬ神に祟りなし、とばかりに退社した。その場に残って余計な仕事を押し付けられたくはないからな。

小声で「夜逃げか?」、と聞き返すと下津浦は小さく頷いた。

「まあ、そうなんだけど」

『江原商店』とは『下津浦物産』の創業当時からのお付き合いだ、と聞いていた。『江原商店』を担当しているのは、営業部の川浪さん。入社以来15年。担当してきた会社に裏切られて、落ち込んでるだろうな。

「自宅にも店にも誰もいないんだ。娘さんの嫁ぎ先にも連絡したが、電話に出ないんだよ」

下津浦は眉を寄せた。計画的だな。

「確か息子さんがいたよな?ほら、ここに顔を出した江原社長が自慢していただろう?ラグビーの特待生とかで、川浪さんが入学祝いを持って行ったじゃないか?」

「京都だ。もしかしたらそっちを頼って行ってるかもしれない」

「学生に頼るかな?」

「しばらく寝泊りするくらいは出来るだろう?」

「まあな」

俺はメロンパンの袋を開けた。下津浦は「半分」と言って右手を差し出したが、俺は無視した。諦めの悪い男は左手にコーヒーを持ち、右手を差し出した状態で話を続けた。

「一昨日納入した商品だけでも回収したいんで、俺と川波さんとで倉庫と店を一晩中見張ってたんだ。で、明け方、親父と交代した」

「社長が自ら見張ってるのか?で、動きは?」

「ない。商品も売っ払ってる可能性が高いんだよ。半分、くれ!頼む」

「嫌だ。従業員は?」

下津浦に見せ付けるようにして、俺は精一杯大きく口を開きメロンパンに噛み付いた。

「何も知らされてなかったようだ。財務も経理も専務の奥さんだし、従業員といったって倉庫を管理していたおっさんと営業が2人。忙しい時は娘さんが手伝いに来る程度の小さな会社だからね。営業さんも倉庫のおっさんも、社長一家の行方は知らないって言うんだよ」

下津浦の視線がメロンパンから離れない。俺はサクサクとしたビスケット生地の甘さが好きなのだ。口の中に広がる甘い香りを楽しみながら、下津浦の「ケチ」を聞いた。

「ケチで結構。困った事になったな」

「そうなんだよ。そこで永瀬に頼みがある!」

「何だよ?」

こいつの頼みは毎回ろくな事はないのだが・・・。

「俺は今から家に帰って着替えてくる。『江原商店』の見張り、親父と替わってくれないか?」

「寒いのに」

社長に恩でも売っておくか。

「頼む!俺もすぐに戻るから」

「そうか。仕方がないな」

メロンパンを全て食べ、塩パンに手を伸ばすと「半分!」と下津浦が催促した。

「あげません。でも見張りは交代するよ」

「ありがとう!親父も歳だしさ」

「だが、俺の仕事を城島さんに引き継いでからでないと」

「引継ぎが終わってからでいい。頼む!」

下津浦に手を合わされて渋々とOKしたが、気は進まない。

だが営業部ではない俺が借り出されるくらい事は切迫しているのだ。ここは会社の為、と考えるしかない。

綺麗な"彼"の笑みを見る事が出来、良い事がありそうだと思ったにもかかわらず一日のスタートは左程良くはない。

*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

「さよなら三角、また来て四角」連載中は励ましのコメントや楽しい感想をたくさんありがとうございました!

新作になります。こちらは日高の『S-five』から離れよう運動の一環から生まれたお話です。まあ、そういう気分の時もあるわけよwww

★投票にご参加ありがとうございます!!千里の道も一歩から。地道に毎日投票する事が大切ですよ。現在、山下の独走態勢ですが、まだまだ逆転のチャンスがありますからね~!

ここからは気になるコメントへのお返事です♪

*まあちゃんへのコメント。「まぁちゃん、石油王に気に入られ、高田店長焦るの巻」さん、これ半分は当たりです(笑)
*ブラックボーイズへのコメント。幸薄い涼ちゃんとか雅とか、覚えてくださっててありがとうございます。未だに不幸なのでしょうか?気になりますね!
*誠と直斗さんへのコメント。「誠くん、薫ちゃんにネックレス渡せましたか?」さん、残念ながら、まだ渡せていませんよ。いつになるのでしょうね?
*槌屋補佐&河野組皆様へのコメント。槌屋補佐ラブさま、いつもありがとうございます。我慢は体によくないですよ?ネタはあるのですが、需要があるかな~と思ってました!

以上でーす!!では、では~♪

   日高千湖

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さやさやと流るるが如く・2

★投票所のコメントより「投票所をトップに設置して欲しい」というご要望がございましたので、この記事以降は投票所をTOPに置きます。確かにスマホから閲覧されておられる方々は記事を探さないと投票出来ないですね。気が利かなくてすみませんでした!!教えてくださった方~ありがとうございました!








 『江原商店』の見張りを交代してすでに2時間が経った。

すぐに交代する、と言ったはずの下津浦はまだ姿を見せない。

 俺がここ着いた時、社長は目を血走らせ、口をへの字に曲げ、俺が「おはようございます」と挨拶したのも気に入らないといった感じだった。

機嫌が悪いのは言うに及ばず。「交代します」と言うと、バツが悪そうに「頼む」とだけ言って、営業の北野さんと一緒に帰宅した。

 ここに誰かがいても意味がないと、誰も考えない事が不思議だった。

すでに江原社長の家族全員とは連絡が取れず、自宅には人っ子一人いない。庭で飼われていた犬も消えているのだから、江原社長がここに戻ってくる確立0%だろ?

社長が「見張れ」という以上は、社員としては従う以外ないんだけど。

 俺以外にもう一人、無駄な事をしている他社の社員がいる。彼とも情報交換したが、彼の所も江原社長一家の行方は掴めていなかった。念の為に彼とは名刺を交換し、今後動きがあれば互いに情報交換しよう、と約束した。

 今朝は8度と冷え込んだが、正午近くともなれば気温も上がり陽が当たる場所にいればそれ程寒くはない。商店街の端っこにある『江原商店』が経営する『ファッションEHARA』のシャッターは閉まったままだ。いつもなら10時に開店し、社長と奥さんの2人で店をやっているはず。

午前中におばさんが数人買い物に訪れたが、「どうして閉まってるの?」としつこく聞かれて返答に困ってしまった。あるおばさんは社交ダンス用のドレスを注文したいとかで、「大会に間に合わないわ。急ぐのよ!」と俺たちに一頻り文句を言って帰っていった。

店には社長一家の夜逃げを聞き付けた業者や債権者が次々にやって来る。どこも必死だ。他所よりも多く回収したいからな。


「永瀬!すまないな!はい、コーヒー」

「ありがとうございます」

社長を送って戻ってきた営業部の北野さんが、温かい缶コーヒーをくれた。この人はいつも甘いカフェオレだ。薄茶色の缶の甘さを思い出しながら、それを手で握り込む。ジワリと熱さが伝わって、冷えた身体に沁みていく。寒の戻りとなった今日、じっとしているのは辛いのだ。

「大変でしたね。社長、大丈夫でしたか?」

「ああ。江原社長を信じていたからね」

小太りの北野さんは、プシュッと缶を開けながら言った。

「悪いね。総務部のお前まで借り出して」

「いいえ。下津浦が交代してくれますから」

まだ来ないけどね。

「悪い!明鷹は来ない。俺が交代するよ」

北野さんはシャッターの前にしゃがみ込んだ。俺もその隣にしゃがんだ。

商店街を行き交う人が、不審そうに俺たちを見ている。いつもなら華やかなドレスがショーウィンドウを飾っている店にはシャッターが下り、その前に大の男が3人も並んでいるのだ。おかしいと思うはず。

なんなら『社長一家は夜逃げ中』と横断幕でも張りたい気分だ。

「そうですか」

俺も缶コーヒーを開けた。北野さんが好きなカフェオレは甘くて、どんよりとした気分を和ませてくれる。

「ここで見張ってたって、無駄だと思うんだけどな」

「ですよね。江原社長や奥さんのスマホの電源は切れてるんでしょう?」

北野さんは大きく頷いた。

「もちろんだよ。自宅の近所の人にも片っ端から聞き込みしたんだ。一昨日、会社のワゴン車が自宅前に停まってて、ダンボール箱をいくつも積んで行ったそうだ。社長夫婦は昨日の午前4時頃、車で出て行ったらしい。前日には奥さんが、両隣の奥さんたちに旅行に行くからよろしく、と声を掛けてるし」

前日から荷物を運び出し、近所には旅行と噓を吐いて夜逃げの発覚を遅らせたって事か。

「計画的ですね」

「まあな。新聞も電気も止めてるし、娘夫婦も消えた」

「前兆とかなかったんですか?」

「川浪さんによれば、一年前から資金繰りが厳しくなって、銀行に融資の申し込みをしたって聞いていたそうだ。追加融資が上手くいかなかったんだろうね。半年くらい前から支払いが遅れるようになったんだが、うちの社長と江原社長は小学校、中学と同級生でね。少々入金が遅れても多目にみてやってくれ、って感じだったんだよな。だから川浪さんも俺らも、最後は社長が、と思い込んでいたんだ」

隣で聞いていた別の会社の社員が、「うちも一年前から支払いが滞るようになったんですよ」と相槌を打つ。

「成程」

「前々月の分を昨日、払う約束だったそうだ。それもうちの社長が『待ってやれ』と言うからさ」

 『江原商店』は商店街の一角で中高年向けの婦人服を中心に販売する店だった。最近では、老人ホームや住人が高齢者ばかりになった団地、山間部、農村地帯をワゴン車で移動販売していたという。

ネット通販やファストファッションに圧されて、小売り店は厳しい経営状態が続いている。移動販売に活路を見出したってわけだが、上手くいかなかったか。

うちの会社からだけ商品を買い付けていたわけではないから、負債も相当な額だな。そう思いながら隣の他社の社員を見ると、彼も頷いている。どうやら同じような境遇らしい。

「それなのにさ。逃げたとわかると川浪さんに、どうして今まで気が付かなかったんだ!?と詰め寄るんだから。社長には参ったよ」

北野さんは顔を顰めてみせた。社長もなかなかのお人好しだな。

「川浪さん、お気の毒だな。それで社長が直々に見張りをなさっていたんですね」

「そういう事。スマホも繋がらないのに何度も電話してさ。あいつはそんなヤツじゃない、とか言うんだぜ。昨日のうちに倉庫番のおっちゃんに事務所と倉庫の鍵を開けさせたんだが、どっちももぬけの殻。倉庫の商品は全て『はたしま』に売り払ってやがった」

「『はたしま』?価格破壊、超激安、が売りの?」

「そうだ。お前と交代して社長と一緒に確認してきた。『はたしま』の巨大倉庫に、一昨日納入した商品が積まれていたよ。売り値を聞いてひっくり返りそうになった。まさに叩き売りだ。商品は回収出来ないし、社長は半狂乱になるし。もう、参ったよ」

隣のヤツもうんうんと頷いている。あちらの商品も同じような状況だな。

「うちのベトナムの工場に、江原社長がわざわざ出向いて発注した商品だぞ。参ったよ」

北野さんは空になった缶を悔しそうに見ると、『江原商店』の前に置かれていたプランターに突っ込んだ。

「大変でしたね、北野さん」

北野さんは鼻に皺を寄せて頷いた。ずり落ちてくるメガネを左手で押し上げ、ポケットから取り出したタバコに火を点ける。いつもなら「吸っても良いか?」と聞いてくれる人なんだが、今日は余裕がないな。

「ハアーッ。もう、手が付けられなかったよ。俺に怒鳴り散らしてさ。俺に怒鳴ったってどうしようもないっつーの!仕方がないから明鷹に迎えに来させて、もう家に帰したんだよ。ここを見張っても意味ないのにさ。江原が戻ってきたらすぐに俺の所に連れて来い!だってさ。計画的に夜逃げした人間がノコノコと戻ってくるわけがないじゃないか?なあ?」

北野さんが吐き出した煙が、臭いだけ残して風に霧散する。

「ですよね。江原さんも最低だな。最初から売り払う気で一昨日納入させてるんですからね」

「あの人、わざわざベトナムの工場まで行ったんだぞ?生地と縫製をチェックしたいとか言ってさ!」

「そんな人が夜逃げするとは、誰も思いませんよね」

「当たり前だ」

3人で、ハアッと大きな溜息を吐いた。

隣で聞いていた別会社の社員は「うちも似たようなもんです。俺、このままじゃ会社に戻れません」と、悲鳴にも似た声で悔しさを滲ませて肩を落とした。

北野さんは俺に「あの人、昨日から帰ってないんだぞ」と小声で教えてくれた。

「もうお前は帰っていいぞ。ここに2人は要らない」

北野さんは腹立たしそうに地面にタバコを落とすと、足で揉み消した。

「ありがとうございます。そうさせてもらいます。ところで北野さん、昼飯は?」

「まだだ」

「飯、食ってきてくださいよ。戻ってくるまで俺がいますから。温かいもんでも食ってください。社長のOK出ないと、ここから離れられないんでしょう?」

「いいのか?」

北野さんは嬉しそうに俺の肩を叩いた。

「ええ。いいですよ。俺は社に戻る前に食いますから。どうせ今日は残業だし」

自分の仕事を引き継いだ城島さんは、先月採用されたパートさんだ。入ったばかりだから慣れない事も多い。置いてきた仕事は進んでいないはず。午後4時には子どもを保育園に迎えに行くから、3時半には退社してしまう。

「助かるよ。でも、悪いな、残業させる事になって」

「平気です。気にしないでくださいよ。残業代はしっかりと請求しますから!どうぞ」

北野さんはよっこらしょと立ち上がり、「急いで食って戻るから!」と向かいにある定食屋を目指して行った。

 『ファッションEHARA』のシャッターには、臨時休業の貼り紙も定休日の札も下がってはいない。

もう一人いた他社の社員は会社から電話があり、「お先に」と言って帰た。

 俺は一人になった。北野さんが戻ってくるのを待つ間に、退屈しのぎに買った雑誌のクロスワードパズルを広げた。シャッターに雑誌を押し付けて、問題を解いていく。

「ええっと・・・。てるてる坊主にお願いしたら止むかも?"雨"だな」

胸ポケットからペンを取り出して、マスに「あめ」と書く。

「停留所は○○ストップ。バス、だ」

難しい問題ではない。マスを埋めていくと、半分くらいの問題に答えたところで答えがわかってしまった。

「サクラサク、か」

季節柄を考えれば、答えはそれしかない。楽しみが減り、雑誌を隅から隅まで読むのも面倒だ。

「すみません」

後ろを向いていた俺に男が声を掛けてきた。

「はい」

今朝から何度も同じシチュエーションを繰り返している。

「店はなぜ閉まっているのか?」「社長の行方を知らないか?」「何時に開くのか、明日は開くのか」。それをまたやるのか、と憂鬱な気分で振り返った俺は固まった。背後に立っていたのは、いつも駅で会う綺麗な"彼"だった。

*****

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さやさやと流るるが如く・3

投票はこちらからどうぞ!!キャラを追加される方は、重複がないかよくご確認ください!!
本編は投票所の下にあります!!







 「すみません」と声を掛けられて振り返ると、1メートルくらい先に男性が立っていた。

「あっ」

"彼"は俺を見て、小さな驚きの声を上げた。

「あっ」

"彼"も俺を認識していたと今朝わかったが、こんな所で会うとは・・・。

「わっ」

駅で見かける"彼"に思い掛けない場所で声を掛けられ、驚きのあまりに俺はシャッターに押し付けていた雑誌を取り落としてしまった。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫です」

急いで雑誌を拾って二つに折り背中に隠して、"彼"から少しだけ距離を取る。"彼"の美貌が息苦しかったから・・・。

「いつも駅でお会いしますよね?僕の事、覚えていらっしゃいますか?」

「あっ、も、もちろんです!」

忘れるわけがないだろう。"彼"の事は皆が知っているに違いない。それくらい"彼"の美しさは鮮烈で、超越しているのだ。

"彼"が通り過ぎれば誰もが二度見するし、ポカンと口を開けて見てしまう。滅多にお目に掛かれないような美人が目の前にいても、ここまでマヌケな顔はしないだろう、というくらい皆がポカンとする。

それは"彼"が男性だから。

 今朝の微笑が鮮明に蘇った。いや、蘇ったというよりも目の前で"彼"が微笑んでいるではないか。すっかり浮き足立ってしまった俺は、不躾にも"彼"の美しい顔をしげしげと見て二つ折りにした雑誌をクルクルと丸めた。

「今朝は寒かったですね」

「ええ、そうですね」

「コート、暑くて」

"彼"はマフラーを外し、チャコールグレーのコートだけを着ている。額にサラリと掛かる前髪が黒々と光り爽やかだ。こうして間近で見れば、"彼"の顔の造作がいかに秀でているかがわかる。スーッと綺麗に伸びた鼻筋、肉厚な唇は男のものとは思えないくらい赤くて艶々だ。猫のような瞳は大きく、長い睫毛がそれを縁取っている。

そして何よりも、"彼"は肌が素晴らしく滑らかなのだ。思わず手を伸ばしたくなる滑らかで柔らかそうな頬。形の良い耳から首筋に掛けて、彫刻のようなラインが続く。

「暑いですね」

ああ、何だこの会話は。

千載一遇のチャンスじゃないか。それなのに、俺ときたら気の利いた台詞の一つも出てこない。それどころか、俺は"彼"の言葉を反復するばかりじゃないか。

「こちらの店の方ですか?」

「えっ?」

「ここ」

"彼"は『ファッションEHARA』の派手な看板を指差した。

「ああ!いいえ!私は、ここの者ではありませんよ」

「そうでしょうね。夜逃げしたんでしょう?」

"彼"はあっさりと言い、ニコッとした。

今の笑みは今朝の鮮烈な微笑とは違う。さっき俺に声を掛けてきた時の、愛想笑い的な笑みとも違う。何というか、ちょっとした知り合いに向けた親しみの混じった笑みだった。

それは今朝の笑みよりも更に"彼"の印象を柔らかくした。神々しいまでの美貌は近寄り難かったが、今の笑みで"彼"が俺らのレベルまで降りてきてくれた感じ。

そして俺を有頂天にさせるには十分な威力を持っている。

「えっ・・・。ああ、まあ。ご存知でしたか?」

"彼"は少しだけ表情を硬くし、看板を見上げたままの姿勢で言った。

「参ったなあ」

「あっ!あなたの会社もここに商品を卸していたんですか?」

「いいえ、違います」

「えっ?では?」

"彼"は周囲を見回すと、ツッと上半身だけ俺の方に近付けた。

「実は、江原昭市は僕の伯父なんです」

「おじ?」

「はい」

いたよ、ここに。親族が。「おじ」という事は、かなり近い親族じゃないか。

「あっ、その・・・。社長の行方をご存じないですよね?」

「こっちが知りたいよ」

先程までの笑みを引っ込めた"彼"は、口の利き方が急にぞんざいになった。吐き捨てるような口調。迷惑そうだ。

「そうですか。良かったら、お名刺を頂けませんか?」

「ああ・・・。うーん」

"彼"は迷った。俺に「親族」と言ったはいいものの、名刺を渡して自分の所に債権者が来られては堪ったもんじゃないからな。

「あっ、そうか・・・。拙いですよね」

「ねえ?」

俺に同意を求める"彼"の睫毛がパサリと音を立て、俺の心はドキリと音を立てる。

「・・・ですよね。じゃあ、俺の名刺をもらってくれませんか?」

ここで"彼"を逃して堪るか。思い切って言うと、"彼"は口元を緩ませた。

「いいですよ」

名刺交換は拒否したが、"彼"は俺の名刺を受け取ってくれた。今"彼"の手に渡った幸運な名刺は、長い指に挟まれて光り輝いて見える。

「ながせ、おうすけさん?」

「そうです」

「へえ・・・。『下津浦物産』の永瀬欧介さん、か。欧介さんって素敵なお名前ですね。僕は水内と申します。よろしくお願いします」

『みずうち』と名乗ってくれただけでも嬉しかった。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「じゃあ、僕はこれで」

用件が済んだのか済んでいないのかわからなかったが、さっさと立ち去ろうとする"彼"と別れ難かった。もしかしたら、同じ駅を使っている俺とは顔を合わせたくないから、"彼"は姿を消すかもしれない。

明日は駅に現れないかもしれない。

「あの!」

俺になど未練もなく、サッと背中を向けた"彼"に追い縋るように声を掛けた。

「はい?」

「飯、食いましたか?」

「えっ?お昼ご飯ですか?いいえ、まだです」

「一緒にどうですか?」

"彼"は首を傾げ、尖った声で答えた。

「僕を捉まえても、伯父は見つかりませんよ?」

「それは置いといて!ほら、毎朝のようにホームで一緒になるけど、こういう切欠でもないと話しはしないでしょう?江原社長の事は抜きで、飯、食いませんか?俺もまだなんです。もうすぐ先輩と交代するんで、良かったら。ほら、一人で食うより二人の方が楽しいじゃないですか!?」

何だか自分が一人飯が嫌で誘っているみたいになったが、その方が向こうも乗っかり易いかな?

「うーん。いいですよ」

"彼"は「4軒先のカフェで待っています」と言って去って行った。"彼"が確かにカフェに入ったのを確認して、思わずガッツポーズ。

「北野さん、早く戻ってきてくれないかな」

定食屋の方を伸び上がって見ながら、俺の心はすでにカフェに飛んでいた。

 北野さんが戻ってきたのは、「水内」と名乗った"彼"と別れて20分後。パンパンになった腹を擦りながら、北野さんは大きなゲップをした。

今のゲップで減点だ。江原社長の親族がここに現れた事は言わないからな。

「ゆっくりさせてもらったよ!サンキュー!」

「いいえ!構いませんよ」

「ごゆっくり」とは言ってない。

「じゃ、失礼します!頑張ってくださいね!」

丸めた雑誌を強引に握らせて、俺は4軒先のカフェへと急いだ。 

*****

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毎日投票、ありがとうございます!!気になるコメントコーナーです♪

*ブラックボーイズに投票下さった、「きいちゃんに3K彼氏?阿鼻叫喚by雅 」さんへ。涼ちゃん&雅ですよね?+梅ちゃんの認識でよろしいでしょうか?3K彼氏とはなんでしょう?気になる~!

*真央ちゃんミッチーへのコメント、「どれも読みたくて選べない」さんへ。嬉しいお言葉ありがとうございます。真央ちゃん&ミッチーは現在5位ですよ。応援してやってくださいね!

以上です♪

   日高千湖

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さやさやと流るるが如く・4

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 北野さんへの挨拶もそこそこに、俺は"彼"が待つカフェへと急いだ。

カフェに着くまで何歩だろうか。せいぜい20か30歩。その間に、何を話そうか、"彼"が好きな食べ物は何だろうか、と考える。それ以前に、本当に"彼"がカフェで俺を待っているかが問題なんだが、そこは考えても仕方がない。行ってみるしかない。

 『ファッションEHARA』からカフェまでの距離がやたらと長く感じた。そのわりには秒で到着した店の前で、俺は大きく深呼吸した。

カフェのドアを開けて"彼"の姿を探した。白い壁、白木のテーブルと椅子、ナチュラルな雰囲気の店内には女性の姿が目立つ。

店内を見回すまでもなく、"彼"はカウンターに座って俺を待っていた。スタッフの「いらっしゃいませ!」という声に反応した"彼"が振り返る。

「いらっしゃいませ!お一人ですか?」

あの微笑を見られると思った瞬間に、白いシャツに黒いギャルソンエプロンをした男性スタッフの身体が俺たちの間に入り込んで"彼"を隠してしまった。それにガッカリしながら、俺は緩んだ頬を引き締めた。

「待ち合わせです。カウンターの彼です」

「あっ、はい。どうぞ」

スタッフが先に立って歩き出すと、やっと"彼"の顔が見えた。微笑みながら俺を見ている。右手と右足が一緒に出てしまいそうなくらい緊張していた俺は、頬をピクピクさせながら笑みを返して"彼"の待つ席まで歩いた。

 空いていた席にバッグを置き椅子を引く。

「お待たせしました」

「いいえ」

「待っててくれたんですね」

「約束したから」

「ありがとうございます」

"彼"の前には水とおしぼりだけ。料理も飲み物も運ばれていなかった。

「何か注文しましたか?」

「いいえ。一緒にと思って」

その一言で、"彼"が俺を待っていてくれたとわかる。それだけでドキリと鳴った胸の音が大きくて、"彼"に聞こえたのではないかと思う。だが、それが聞こえたのは"彼"ではなく目の前のシェフだったのかもしれない。俺たちの真ん中に割り込むようにして、シェフの手が伸びてきて、白木のカウンターテーブルにコトンと水の入ったグラスが置かれた。

「いらっしゃいませ。こちらがメニューになります」

ランチのメニューはパスタセットとドリアセットだけ。パスタは3種類から、ドリアはシーフードミックスとミートのどちらか。俺らの顔を交互に見ながら、シェフが微笑む。

「僕はシーフードドリアで。コーヒーはホットでお願いします」

前もって決めていたのか"彼"はメニューを見ずに言った。俺が決めるのを待つ"彼"は口元に笑みを湛えたまま。それはいわゆる愛想笑い、というやつだ。

「俺は・・・パスタにしようかな?明太子クリームで、コーヒーはホット」

「畏まりました」

丁寧に一礼して、シェフの手が去って行く。それを待っていたかのように、"彼"が身体ごと俺の方を向いた。

「永瀬さん」

「はい」

「何歳ですか?」

"彼"と話しをするのは初めてだ。だが、駅で毎日のように見掛けているからか彼は和やかな雰囲気で話し掛けてくる。

「28です」

「僕は26。敬語は止めませんか?」

敬語を止めれば"彼"との距離はグッと近くなる。"彼"もそれを望んでいるのだろうか。

「あっ、いいですよ」

「ふふっ」

キュッと頬を上げ、目を細くして笑う。何というか、ごく親しい人に見せるような笑顔が新鮮だった。

「今朝、目が合ったでしょう?」

「ああ、うん。前から俺の事は、知っていた?それとも」

「知っていたよ。あなた、目立つから。目が合って、ちょっと嬉しかった」

「嬉しかった」と言った"彼"は、少し照れ臭そうに笑った。その答えが意外で、俺の方が戸惑ってしまう。

「嬉し、かった?」

「うん。僕の事、知っていた?」

「もちろん。君は駅ではいつも凛として、誰にも近寄らせないような空気出してるじゃないか。いつも真っ直ぐに前を見ているから、俺なんか目に入っていないと思っていたよ」

「ふふふっ。僕はいつも取っ付き難いって言われるんです。だから」

「だから?」

『だからにこやかにしている』のなら話しはわかる。だが、彼は逆だ。取っ付き難い、と言われているのがわかった上で"近寄るな"オーラを出しているのだ。

「ツンとしてる感じがするんだって」

「それはわざと、って事かな?」

"彼"は頷いた。

「そう。高校生の時に駅のトイレに連れ込まれそうになったんで、駅では特に近付くなオーラをギンギンに出してるんだ」

「えっ?」

「駅で毎朝一緒になるおじさんと挨拶だけしてたんだけど、ある日おじさんが気分が悪いって言って、僕がトイレまで付き添ったんだ。だけど、おじさんに個室に押し込まれちゃって」

「ええっ?」

"彼"は眉根を寄せ不快だった思い出をぶちまけるように一気に言った。

「股間を蹴り上げて、カバンで背中をぶっ叩いて逃げ出したんだ。逃げたのをちょうど駅員さんに見られてて、止められて、おじさんが僕に暴行されたと訴えた」

「まさか!」

「本当。警察は来るわ、学校からは教頭が飛んで来て、親を呼ばれるわで大変だったんだ。夏だったから、制服は半袖シャツだった。そのおかげで僕の手首におじさんが強く握った痕が残っていた。首を押さえ込まれたから、首にも手の痕がクッキリ残ってたんだよね。それに気が付いた母が、この痣はどう説明するんだ、と問い詰めたら、おじさんが土下座して白状したよ」

「・・・結構、壮絶な出来事だよね」

「うん。前にもそういう事があったし、その時は母も嫌な思いをしたからね。泣き寝入りはさせたくなかったんだと思う」

「そうか。何だか、悪かったね。嫌な事を思い出させて」

「平気。慣れてるから」

寂しげな表情を浮かべた"彼"は口を噤んだ。一瞬目を伏せたのを見て胸が痛くなった。その美貌ゆえに、意図せず幼少期からオトコを惑わしていたのか。

 何か他の話題を提供しなければと思うが、なかなか浮かばない。俺たちには"駅のホーム"以外に共通点はなく、もう1つの共通点である『江原商店』の話を切り出すのは憚られた。

それで俺たちは、シェフが調理をする様を無言で眺めていた。タイミング良くサラダが運ばれてきて、"彼"は「美味しそう」と言ってフォークを手に取った。

シェフが調理しながらチラリチラリと"彼"の顔を見ているのには気が付いた。稀有な美形が男性である事を惜しんでいるのか。それともシェフもオトコいける口かな?

「永瀬さん、恋人は?」

「恋人?今のところはいないな」

「へえ!カッコいいのに」

「そうかな?」

「身長高いし、イケメンだし。女性にモテそうだ」

「モテないとは言わない」

"彼"はアハハッと声を出して笑った。"彼"に笑われると多少はキズ付くな。お前が言うな、って感じかな。

「認めるんだね。うん、モテると思う。カッコですよ。駅でも目立ってるし、あなたが来るのを待っている女の人、何人かいますよ」

「へえ、お目に掛かりたいもんだな」

「ふふっ。僕もあと10センチ、背が高かったからな」

170センチくらいだろうか。日本人の平均といったところだ。

「おっさんに襲われたりしないんだけど」

「あははっ。そうだね」

自虐的な事も言えるくらい、おっさんの事件は吹っ切れているようだ。"彼"の深いキズにはなっていないという事かな。

「身長は何センチ?」

「180」

「へえ。『下津浦物産』って大きな会社なんですか?」

「大きくはないが小さくもないな。海外に自社工場があって、婦人服の製造卸しをしているんだ」

「へえ!海外に工場か。だから伯父の店と取引があるんだね」

「まあね」

話しが『江原商店』になった。『江原商店』は抜きでと言って食事に誘った手前、俺の方から質問するのは憚られたが、"彼"が話す分には構わないだろう。

"彼"は核心に迫るような内容は避けて話しを始めた。

「母が心配してるんだ。無理心中しないだろうか、って」

「まさか」

それはないな。首を括る気ならば犬は置いていくし、荷物も金も要らない。

「まあ、死なないとは思うけど」

「俺もそう思う」

ふふっ、と肩を竦めて笑う"彼"。茶目っ気タップリで憎めない。

「母が連帯保証人になってなくて良かったよ」

「ああ、それは良かったね」

「実は母も伯父に金を貸してるんだ」

ああ、それで「参ったな」と言ったのか。

「全く、人に迷惑を掛けておいて夜逃げとか、ふざけてますよね」

俺の方を見て同意を求める"彼"の親しげな空気が嬉しくて、俺の心はふわふわと浮いている。

*****

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現在のところ、1位山下明利 、2位圭介さん&輝也、3位 怜二君と信吾さん、4位 まあちゃん、5位真央ちゃんミッチー、6位わけあり3人組 、7位井上辰弥と奏ちゃん、8位清川薫、9位飯坂智也 10位井上耀元 、となっております。

相変わらず山下が強いですね。清川薫、どうした?

   日高千湖

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さやさやと流るるが如く・5







 注文した料理が運ばれてきてフォークを握った。すると何とも形容し難い気持ちになった。

これが"彼"とは最後になるかもしれない。それが惜しい。ならば、楽しめるのは今しかないと思うし、あわよくば"彼"とは『江原商店』抜きで付き合いを始められたら、と思う。

毎朝"彼"と駅で「おはよう」と言葉が交わせたら・・・。

だが俺が自分の伯父の行方を探している会社の社員だとわかった以上は、"彼"は俺には関わらないようにするのではないか。駅を変えるかもしれない。

それを阻止するにはどうしたらいいだろうか。考え込んでいた俺を、隣の"彼"は顔を覗き込むようにして聞いた。

「食べないんですか?」

「あっ、食べます」

熱々のシーフードドリアをフーフーしながら食べている"彼"を見ながら考えるが答えは出ない。

「美味しい。ドリア、好きなんだ」

「チーズが好きなのか?」

「うん!トロトロになったの、大好き」

「じゃあ、ピザは?」

「好き。ラクレットも好き」

ラクレットと聞き、高校時代の友人がやっている店を思い出した。洒落たカフェ&バーではなく、オムレツやピザのような洋風メニューと焼きそば、から揚げが並んでいるようなざっくばらんな店だ。

月に2、3度は会社帰りに立ち寄って飯を食う店は、数年前から女子受けを狙ってラクレットチーズをメニューに加えていた。

「ラクレット?専門店じゃないが、俺がよく行く店にもあるよ」

「そう!行ってみたいな」

「じゃあ、行く?」

「行く」

勢い良く返事をした"彼"は大きく頷いた。

「楽しみ!」

「いつ」とは約束する事もなく、"彼"は食事を続けた。お愛想でも「行く」と言ってくれたのが嬉しかった俺は、連絡先も知らない"彼"の気分が変わらないように、と祈る。


「美味しかった」

食後のコーヒーを飲みながら、もうすぐ終わる"彼"との時間に名残を惜しむ。

「永瀬さんはこれから会社に戻るんですか?それともまた見張り?」

「俺は会社に戻るよ。ここには先輩が残ってるからね」

「先輩に無駄だと教えてやってよ」

「社長命令なんで」

「ああ、そうか。ご愁傷さま」

「どうも」

「ふふっ。社長には敵わないよね」

「そういう事」

"彼"は俺の顔をしげしげと見て、「永瀬さんって、いい人だね」と言った。

「別に」

「僕の連絡先を聞くかと思ったんだけど」

「ああ。ほら、江原さんとは関係なく、って言ったじゃないか?」

「それを忠実に守ってる。チャラいのかと思ったけど、真面目だね」

「君が嫌がると思って」

『伯父』が借金を残して失踪した。

"彼"の母親も金を貸しているわけだから被害者だ。金を借りた相手が銀行だけならいいが、あまり性質のよろしくない所ならば"彼"の母親の所へ行く可能性もあるのだ。それを思えば、俺には連絡先を教えたくはないだろう。

「嫌だけど。ふふっ」

これは全く脈はないな。

そう諦めかけた俺に、"彼"は店の紙ナプキンにサラサラと電話番号を書いて寄越した。

「連絡先」

「くれるのか?」

「うん。だって、ラクレット。連れて行ってくれるんでしょう?約束したよ」

誘ってもいいのか。急な展開に面食らった俺は、紙ナプキンに書かれた番号を何度も繰り返して見た。

「専門店じゃないぞ?」

「大丈夫」

「じゃ、いつ?」

「そうだな」

"彼"はスマホを取り出してスケジュールを確認すると、「明後日の金曜日はどうですか?」と聞いた。

「ああ、大丈夫」

「プレミアムフライデーってやつ。会社から補助金が出るんだ」

俺が紙ナプキンを丁寧に畳みスマホケースのポケットに納めたのを見た"彼"は、「約束」と言って立ち上がった。

「僕は先に出ます。楽しかったです」

「ああ、俺も」

"彼"は伝票を掴むと、カウンターのシェフに「別会計で」と声を掛けた。


 自分の分を支払った"彼"は、右手を上げて「金曜日に」と言い残して店を出て行った。

一人残された俺はスマホケースから紙ナプキンを取り出し、丁寧な字で書かれた電話番号を指でなぞった。11桁の数字が正しいか正しくないかはわからない。

「ラクレット、まだやってるかな?」

高校時代の悪友の顔を思い出しながら久々にメッセージを送り、空になった"彼"の椅子を見る。もしラクレットをメニューから外していたら、無理矢理にでも復活させてやる。

「チャンスだな」

不確かな"彼"への切符を再びケースにしまって、僅かに残って冷たくなったコーヒーを飲んだ。コーヒーのホロ苦さが、今一つ積極的になれない自分を叱咤した。


 自分の分を支払っていると、派手に大きくドアが開いた。その先に見慣れた人物を捉えて、思わず眉を寄せる。

「永瀬!」

「下津浦。社長はいいのか?」

下津浦がこれ以上はない、という笑顔で立っていた。

「なんだ、その笑顔。気色悪い」

「ごめん!付き合え!」

下津浦は俺の腕を掴んだ。

「はあ?離せよ。俺、会社に戻らないと!城島さんは3時半に退社するんだよ」

もう2時だ。今から戻れば城島さんとの引継ぎも出来るはず。

「いいじゃないか!なっ?すみませーん!ランチ、まだいけますか!?」

「いいですよ」という返事を聞き、下津浦は俺を引っ張って空いている席に座らせた。

「拙いって」

「永瀬がここにいると北野さんに聞いたんだ。俺、朝から何も食ってないんだよ。おーちゃんがパンを分けてくれないから」

甘えた顔で口を尖らせた下津浦に、思いっきり嫌な顔をしてみせたが無駄だった。

「朝飯は自分で買って食え、って言ったじゃないか」

「おーちゃんのケーチ」

「おーちゃんは止めろ」

「この呼び方、懐かしくないか?」

「懐かしくない」

下津浦は俺の気持ちはどうでもいいとばかりにテーブルの上に置いてあったランチメニューを指差して、「どっちを食った?」と聞いた。

「パスタ。明太子クリーム」

「腹減った。どっちも食うかな?フォカッチャが2つ付いてるんだな。お前、ピザ半分食わない?」

「食わない」

「パスタか。うーん。決めた。ほうれん草とベーコンのパスタにする。それとピザはマルゲリータだ」

無視かよ。

「城島さんは放っておいても大丈夫だよ。わからなければ他のやつに聞けばいいんだから」

「俺の仕事も頼んできてんだよ」

「大丈夫、大丈夫!パートさんだし、保育園の迎えがあるから仕事が終わらなくてもさっさと帰っちゃうって!」

この、適当仮面め。

「城島さんは責任感が強い人なんだよ」

「気にすんなって!電話で伝えればいいだろう?すみませーん!」

下津浦は手を上げてスタッフを呼んだ。

「お前みたいなのが次期社長だと思うと、先行き不安だよ」

「何を言ってるんだか。有望株だよ?俺は」

カッコつけて言ってるが、説得力はない。

「どこが?」

「おーちゃん、辛辣」

「おーちゃんは止めろ」

「おーちゃん」

「死ね」

「酷いなあ」とぼやいた下津浦は、「やっと前みたいにポンポン言えるようになった」と笑った。 

*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

投票所の気になるコメントのコーナー♪

*井上辰弥と奏ちゃん、「コメント数は1番ですよ!」の方。いつもありがとうございます!!まだまだ上へ行けますよ。頑張ってくださいね!
*華恵ちゃん、「お笑いじゃないシリアスな華恵ちゃんが見たい」の方。シリアスな華恵ちゃんの想像が出来ませんwww
*ブラックボーイズ、「結婚条件が昔の3高→今3Kなんだそうです。」の方。そっちですね!!(笑)3Kなので「汚い」「キツイ」「危険」だと思っちゃいました(笑)でも3Kがますますわからなくなりました?3高ではないんですね。

   日高千湖

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さやさやと流るるが如く・6







 下津浦は急に真面目な顔をして俺を見ている。

彼は俺に何と言って欲しいのだろうか。 

「毎日、ポンポン言い合ってるじゃないか?」

「いや、俺は遠慮してる」

「どこが?」

「色々と」

「色々と、ね」

確かに目の前のボンボンとは色々あったからな。

「そうは思えないけど」

「ははっ」

完全なる愛想笑いをした下津浦も、多少は気にしてるんだな。あの事・・・。

スタッフに笑顔で注文を伝える下津浦を見ながら、俺は『下津浦物産』に入社した当時の事を思い出していた。


 入社当時から、"次期社長"は特別扱いだった。

研修は同じメニューだったが、彼だけは"花形"の営業部に配属が決定していて指導係から怒鳴られる事もなかったしね。

同期入社は俺と下津浦と他3名。俺ら4人は下津浦に対して最初から不満を抱えていたわけだが、「社長の息子」という立派な鎧を着た彼には誰も何も言えなかったのだ。ご息子さまのご機嫌を損ねて、三ヶ月の試用期間中に解雇されてしまっては敵わないからな。

研修初日にのこのこやって来て、「皆と同じように厳しく教えてくれよ」と担当者の肩を叩いたバカ社長の存在を、誰も忘れるわけがないじゃないか。

指導担当者の下津浦への不満は全て俺ら4人へと向かってきたのだから、こっちは堪ったもんじゃない。

 その日は一ヶ月間の研修も終わりに近付き、あと3日で入社式という日だった。それより後は5人はそれぞれが違う部署に配属され、研修を続ける事になっていた。

研修中の遅刻は、5人の連帯責任だった。俺たちは下津浦の所為で、会社の周囲の道路清掃やランニングといったペナルティを課されていたのだが、本人はのほほんと笑って「すまん!」の一言で終わらせていた。

俺らは満員電車に押し込まれて通っているのに、彼は会社名義のマンションに住んでいる。それでもやつは遅刻するのだから、そこはモラルの問題だ。俺らには一切責任はないと思うのだが、そこを"連帯責任"という便利な言葉で指導係に煙に巻かれた。

一度は「5人で話し合え」と言われて「遅刻をすれば研修プログラムに差し支える。遅刻は厳禁」、と決めた矢先だった。

にも関わらず、また遅刻した下津浦と俺は取っ組み合いのケンカになった。俺は辞めるつもりで下津浦に殴り掛かったわけだが、逆に社長に気に入られて今に至る。

下津浦のアホは、俺を"同期の中で一番の友"と思って何かと絡んでくる。面倒臭いが悪いヤツではないから憎めないわけだが、"親友"ではない。


「なあ、さっき、この店から超美形が出て行っただろう?」

運ばれてきたピザを食べながら、下津浦が言った。

「ああ。いたね」

目聡いやつだ。

「お前、声を掛けたか?」

「仕事中」

「以前のおーちゃんならすぐに行ったよな?」

「仕事中ですから」

「マジか?」

下津浦は目を丸くして言った。

「私は真面目人間ですから」

ポケットの中の秘密が熱くなってくる。タイミングが悪ければ、こいつの所為で全てが台無しだった。

「面白くないぞ。その冗談」

「申し訳ございません、次期社長。私は面白い人間ではございませんので」

さすがに下津浦が嫌な顔をした。だが彼は「あははっ」と笑った。

「あははっ。ピザ、食えよ。俺の奢り」

「当たり前だ。お前の方が給料高いし」

「営業だから仕方がないだろう?営業成績が給料に反映してるんだ」

「はい、そうですか」

どうせ親の七光りで取ってきたんだろうが。ムシャクシャしながら俺は、8分割されたピザの一切れを指で切り離す。

「あっち」

「熱いですよ」

「遅い」

ピザを持ち上げると皿に落ちたチーズとピザが繋がって伸びていた。トロトロになったチーズが好きだと言った"彼"の綺麗な横顔が目に浮かぶ。ポケットの中のスマホが震えた。

ピザを口に入れ、焼き立ての熱さと戦いながら咀嚼する。

「うん、美味い」

ピザ一枚はおやつ感覚で昼食後の俺の腹に納まった。おしぼりで手を拭き、ポケットの中のスマホを取り出した。ケースの横から紙ナプキンがはみ出している。

高校時代からの悪友・弓川から、メッセージの返事だ。

『ラクレット、やってるよ』

『明後日。一番奥の席2名でよろしく』

「OK」とウィンクするクマのスタンプが返ってきた。

明後日の"彼"との約束を思い出して、不覚にも口元が緩む。それを見た下津浦がすかさずテーブルを叩いた。トントンと指先で叩く音で顔を上げると、にやけた顔で下津浦がピザを頬張っていた。

「おーちゃん」

「おーちゃん」呼びを止めない下津浦に腹が立ってきた。

「何かいい事あった?」

「俺、社に戻るから」

「まあ、座れって!」

俺は真っ当な事しか言っていない。俺がこの場所にいるのは"業務"であって、個人的な用事ではない。そして、昼飯を食うのは俺の当然の権利だ。雇用主は従業員に休憩を取らせなければならない、と決まっているわけだから、今は確実に俺の時間。

移動時間は休憩には含まれないし、今回の見張りには特別手当も付くはず。いいや、付けさせてやる。

ここでの俺の仕事は北野さんと交代して終わったのだから、休憩が終われば俺は社に戻る。それが当然なのだ。俺が特に頭が固いわけではない。


この男とは深く関りたくないだけ。

こいつは勝手に人のモノを奪うからな。パンなら許されるけどな・・・。


「それは次期社長命令ですか?」

下津浦は憮然として答えた。

「友人として、だよ」

「友人、ねえ・・・。俺はただの"同期"だと思っているんだが」

「俺はそこ止まりか?」

「はい」

あっさりと答えたら、下津浦は目を丸くした。だが、すぐに表情を元に戻す。

愛想のいい、陽気な若旦那。社員には分け隔てなく声を掛けて、"次期社長"は誰からも好かれなければならない。

古株にはよいしょを、若手には親近感を。そんな魂胆は見え見えなんだよ。

「だよね!うん。そうだよな。うん、うん」

プライドだけはあるからな。

立ち上がってコートを腕に掛け、カバンを持って「ご馳走さまでした」と言うと、まだ食ってる最中の下津浦は下から見上げて俺の手を掴んだ。

「なあ」

「何だよ?離せよ」

「美人」

余程"彼"に興味を持ったのだろう。いや、"彼"ならノンケでも女性でも興味を持つ。

「確かに美人だったよ」

「俺、駅の方から歩いてきたんだ。ちょうど美人が店から出てきて、マジで驚いたよ。ありゃ、何だ?」

「人間」

「そんな事はわかってるよ!永瀬なら絶対に声を掛けたと思ったんだけど?」

「私はむやみやたらと声を掛けて誘う軽薄な男ではございません。次期社長」

「それ、止めろ」

「じゃあ、おーちゃん、止めろ」

「はーい。おーちゃん」

「今度そう呼んだら、社長にチクってやるからな。お前が可愛い"オトコ"と一緒に住んでます、ってな」

俺が知らないとでも思っていたのか?

下津浦はあんぐりと口を開けて「わかった」とだけ言って、フォークを握り直した。

*****

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さやさやと流るるが如く・7







 電車の中で何度も紙ナプキンを取り出した。会社があるオフィスビルに着き、エレベーターの呼び出しボタンを押した。

明後日、と日にちだけは決めたが時間は決まっていない。今夜、電話してみようか。それとも電車を降りてすぐがいいだろうか。

"彼"は確かに「楽しみ」と言った。それが嬉しくて、思い出し笑いをしている自分が初デートに沸いている高校生のようで可笑しかった。

「よし。今夜、電話してみよう」

紙ナプキンを失くさないようにしっかりとしまって、到着したエレベーターに乗った。

 城島さんとの引継ぎは無事に時間内に終わった。3時半に城島さんを送り出し、一息吐く間もなく俺は仕事に没頭した。今日は残業間違いなし。

 『下津浦物産』は、社員50名程の会社だ。

現社長の曽祖父が始めたこの会社は、創業当時は上流階級相手にドレスや洋服のオーダーメイドを生業としていたという。戦後は婦人服卸しを中心に発展し、今では海外に自社工場を持つまでに成長した。

 俺が所属している総務部は、社長のスケジュール管理や備品管理に社内イベントの企画・運営。来客時の応対からお茶出し、苦情処理、広報から給与計算までやってしまう"何でも屋"だ。小さな会社だからそれも当たり前。ちなみに新人研修も総務部の仕事だったりする。

それだけの仕事を抱えながら、部長と主任の中谷さん、副主任の俺と若尾さんという女性社員、パートの城島さんしかいないという窮状。仕事は常にてんこ盛りなのだ。

 入社当初は俺も営業部だった。同期の下津浦や近藤のように海外出張もこなし、それなりの成果を上げていた。縁の下の力持ち的な部署に異動したのは、俺自身の希望だった。

異動の理由は、下津浦をどうしても許せない出来事が起きたから。下津浦と一緒に仕事をするのは真っ平ごめんだった。

あいつと顔を合わせたくないから会社を辞めるという手もあったが、下津浦社長に説得されてそこは思い留まった。そこの所は理性が勝るくらいの落ち着きを取り戻したので、下津浦の謝罪を受け入れた。

その件はもう忘れた。だからこうして下津浦とも普通に会話し、あいつの奢りなら一緒に飲みに行く事もある。もちろん他の人を加えて3人以上が条件だが。

だが下津浦の事は根本的な所で信用していない。


 仕事が一段落して立ち上がり、背伸びしながら給湯室に入った。

自分専用のマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れて、電子ポットのお湯を注ごうとしたらガスッと嫌な音がした。

「あっ、切れてる」

いつもなら若尾さんか城島さんが途中で補充してくれてるんだけど。俺がいなかったから、2人には皺寄せが行っている。ポットのお湯のチェックが出来なくても仕方がない。

ポットに水を入れ湯が沸くまで、壁にもたれてボーッとする。

 きちんと片付けられた給湯室は無駄がない。若尾さんが常に気を配ってくれるから、若手が捨てたカップ麺のスープの臭いが残っていたりはしないのだ。

「永瀬!」

主任の中谷さんに呼ばれて顔を出すと、パソコンの向こうから手がヒラヒラしている。

「はーい!」

「俺にもコーヒー頼む!」

「はーい!若尾さんも飲みませんか!?」

机の横からヒョコッと若尾さんの丸い顔が出てきて、すまなそうに頭を下げた。

「お願いしてもいいですか?」

「OK!」

営業部は全員出払っている。残っているのは海外事業部の英語が堪能な張本さんと総務部が3人だけだ。営業部よりも奥の席にいる張本さんが大声で注文してくる。

「ごめーん!永瀬!俺のも頼む!」

「はーい!お待ちくださーい!」

電気ポットが忙しく音を立て始めた。


「はい、お待たせしました!」

「ありがとう!悪いな」

張本さんはベトナムから持ち帰った生地見本を広げていた。

「綺麗ですね」

「だろ?コーヒー、サンキュー」

「美味いですよ。俺が淹れたんだから」

「インスタントだろ?」

「ははっ。300円です」

手を出すと張本さんは手の平にハッカキャンディを載せた。

「飴だけ?」

「もう一個いるか?」

「要りません」

「で、江原の方はどうだった?」

「どうもこうも、見張っても無駄でしょう?江原さんが店に戻るわけがないのに、店を見張ってどうするんでしょうね?社長、どうかしてる」

「だよな。明鷹に見張らせて北野は帰せばいいんだよ」

「そうですよ。他社の担当さんも午前中まではいましたが、午後からは帰りましたよ。ところで川浪さんはどうしてるんですか?」

張本さんは渋い顔をして生地見本を閉じた。

「川浪は江原さんの親族、友人、知り合い、行きつけの店、あらゆる所を回って聞き込みしてる。通っていたスナック、キャバ嬢、小料理屋、定食屋に雀荘」

「成程。ちょっとした会話にヒントがあるかもしれませんからね」

「その通り」

江原社長の甥である"彼"の母親の所にも行っただろうか。『おじ』と聞いただけで"彼"の母親が姉なのか妹なのかわからないが、親、兄弟の所には一番に行くはずだからな。

スマホケースの中に入れた紙ナプキンが、俺の良心をチクチクと刺す。会社や川浪さんの為を思えば、"彼"の連絡先を教えるべきだ。

だが俺は、それをする気はない。もし川浪さんが"彼"の所へ行ったら、俺が連絡先を教えたと思うだろうか、とそっちの方を気にしている。

「川浪さんも気の毒ですよね。『江原商店』に関しては、今までも社長の指示で支払いを待ってやってたわけでしょう?今更、川浪さんの所為と言われてもね」

「本当だよ。前から支払いが滞ってたんだから、社長が直々に催促してくれてれば良かったんだよ」

「っていうか、北野さんを呼び戻してやらないと!もうすぐ5時ですよ」

壁の時計を指差すと張本さんは頷いた。

「うん。明鷹に電話して北野を帰社させるように俺が言うよ。見張るんなら親子でやれ、ってんだ」

「その通り」と同意して、俺は頷いた。

「お願いしますよ」

張本さんは任せろ、と胸を叩いた。

「それはそうと」

張本さんが指先で俺を近くに呼び、小声で周囲を憚るようにして聞いた。

「お前、うちに来ないか?」

「海外事業部ですか?」

「そうだ。下津浦はいないぞ」

「すみません、考えられません。飛行機は怖いし、英語苦手ですから」

張本さんは俺を睨んだ。この会社に全て捧げてやるつもりはないんですよ、俺は。

「ガキみたいな事を言うなよ。実は、下津浦が異動してくるんだよ」

俺が異動を希望すれば下津浦は海外事業部には異動にならない、って事か。

「あははっ。可愛がってやってくださいよ」

俺はお気の毒さま、の気持ちを込めて張本さんの肩を揉んだ。

「ああっ!そこ!もう少し強く頼む」

「はーい」

「あーあ。ボンボンのお守りだぞ?」

「意外と楽しいかもですよ?」

肩をポンッと叩いて「お終い」と言うと、張本さんは「それだけか?」と不満そうに言った。

「楽しいはずがないだろうが、俺はお前が異動してくるものとばかり思っていたんだからな?」

「俺は希望してませんよ」

「希望してくれよ!頼む!」

最初は小声で話していたが、徐々に声が大きくなり総務の方から視線を感じる。

「それよりも北野さんの件、よろしくお願いしますよ。今夜は家でゆっくりさせてやらないと、気の毒ですから」

「わかった。ついでに異動の件、考えてくれないか?」

「無理です。じいちゃんの遺言で飛行機に乗っちゃいけないんです」

「バカタレ」

「はははっ、すみません。では、よろしく!」

「おう!」

張本さんは早速、スマホを取り出して電話を始めた。無駄な事に時間を費やすのが嫌いな人だ。すぐに繋がった下津浦に、「北野は帰社させて、今夜は家に帰らせてやれ」と、言うのが聞こえる。

 昨日の俺なら二つ返事だったかもしれない。だが今日は違う。"彼"と食事の約束をするまでになったのだ。繋がった線を途切れさせたくはない。 

*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

投票所の気になるコメントコーナー♪

*ブラックボーイズへ、「すっかり凛ちゃんの存在忘れてました。汗?????」さん。凜ちゃんはちゃんと幸せですよ。ブラックボーイズは雅、涼ちゃん、梅ちゃん、ですよね?違いましたっけ?
*真央ちゃんミッチーへ、「アイドルと姫様(笑)のまったりした日常」さん。俺様ミッチーに疲れた真央ちゃんはキレ気味ですからまったりしてますかね?(笑)
*華恵ちゃんへ、「厚い化粧でイケメンとシリアスな心を隠しています」さんへ、シリアスなのでしょうか?オカマの華恵ちゃんの日常ならすぐに浮かぶんですけど。
以上でーす!!

   日高千湖

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さやさやと流るるが如く・8







 営業部が次々に帰社してくるが、その中に川浪さんと北野さんの姿はなかった。

 「ただいまー!」と大きな声でドアを開けたのは下津浦だ。北野さんを帰せと張本さんに言われたはずなのに、自分だけ帰社したって事か?思わず張本さんの方を見ると、張本さんも手を止めてこちらを見ている。

下津浦は真っ直ぐに俺の席に向かってくる。俺じゃなくて、先に張本さんの所に行けよ。

「永瀬、お疲れ~!今朝はありがとう!」

総務部の面々にも「ご迷惑をお掛けしました」と一言欲しいが、下津浦はこういう所が気が利かない。

というか、言う必要はないとでも考えているのだろうか。"社長の息子"という驕りなのか、天然なのか、時々わからなくなる。悪気があってやっているのではないとは思うのだが、せめて部長には一言添えろ。

「お疲れさまです」

「何だよ?その改まった感じ」

俺は顔も上げずに冷たい声で言った。

「寒かったでしょう?コーヒーでも飲みますか?」

若尾さんが敏感に反応して、いつでも立ち上がる準備を整えている。

「おい、おい!機嫌、最悪じゃね?」

「北野さんは?」

「親父が誰かいろって言うんで・・・」

下津浦の視線は泳いで、海外事業部の方へと巡っていく。

「北野さんを置いてきたんですか!?」

下津浦がギョッとした顔をするくらい大きな声で言ったのは、張本さんに聞かせる為だ。

「まあ・・・。北野さんが自分が、って言ってくれたんで。ほら、俺は昨日寝てないし」

「北野さんだって疲れてるんだぞ。始発で出てきてずっといるんだろう?」

「うん。飯食ったら、交代するよ」

交代するよ、は何となく信じられない。張本さんがカツカツと靴音を響かせながら来て、下津浦の背後から「北野はどうした?」と聞いた。下津浦は頬を引き攣らせながら振り返り、「お疲れさまです」と小さな声で言った。

「北野さんは向こうに残っています」

「俺は北野を帰せと言ったじゃないか?」

「飯食ったら、俺が交代しますんで」

「それじゃ、お前がここに戻る必要はなかったんじゃないのか?向こうで食って交代したら良かったじゃないか?時間の無駄だぞ?」

「すみません。着替えたかったんで。夜は冷えるんで防寒着を」

「着替え?お前は張り込みすんのにお洒落すんのか?」

「違いますよ!防寒着ですよ!ベンチコートを持っていってなかったんです」

ブンブンと手を振って否定したが、下津浦はマンションに戻りたかったんだとピンときた。

「よし!飯は俺が奢るから。永瀬、お前も来い」

「えーーっ!」

「ベンチコートを」

「そんなもん、海外事業部のロッカーに入ってるから、貸してやる」

「えーっ!」

四の五の言わずに立て、と張本さんの目が俺に命令していた。

 
「社長はどうしてる?」

近くの定食屋は仕事終わりのサラリーマンで満席だ。瓶ビール片手に一杯やってる人が羨ましいよ。

 俺と下津浦が並んで座り、俺の前に張本さんが座っている。張本さんの隣の椅子には、海外事業部のロッカーに入っていたベンチコートが丸めて置いてある。下津浦はそれを恨めしそうに見ている。

「家で寝込んでます」

「寝込んでる暇があったら、社長も心当たりを探したらどうだ?川浪一人で大変だぞ」

「そうしたいのは山々なんですが・・・。父はショックを受けてまして」

しゃあしゃあと言ってのけたので、張本さんのコメカミがピクッと動く。ズズッと味噌汁を啜る張本さんのお椀越しの目が鋭い。

「ショックを受けた?自分の会社だぞ?しかも夜逃げしたのは社長の友人だぞ?今まで入金が遅れても川浪が煩く催促しなかったのは、江原さんが社長の"大切な"ご友人だから。違うか?」

「その通りです。それだけにショックが大きくて」

「ふうん。おい、永瀬」

「はい」

「金曜日のゴルフ、社長はショックで動けないからキャンセルな」

そういえば繊維業や衣類販売業者が集まるゴルフコンペが予定されていたな。毎年、夏に行われる生地見本市のキャンペーンガールやモデルも大勢参加する大きな大会だ。毎年、下津浦親子がお洒落して参加するやつ。

「はい、わかりました」

「ちょ、ちょっと!」

下津浦が俺の腕を掴んだ。

「何だよ?ショックのあまりにクラブ振り回してる気分じゃねえだろうが?」

慌てる下津浦に、張本さんはニヤニヤしながら言った。

「それはそうですけど、お付き合いってやつがありますから。それに気分転換に行きたいと言うんじゃないでしょうか?」

おずおずと答えた下津浦。すでに海外事業部への異動を内示されているのだな。あそこで張本さんに嫌われたら、えらい目に合わされるという噂だ。

「それもそうだな!そうだ、そうだ。気分転換も必要だな!なあ?永瀬」

「はい」

下津浦は居心地悪そうに天丼を持ち上げた。

嫌味タップリな張本さんを見ていると、本当に心配になってくる。下津浦が「パパーッ!この人はボクを苛める悪い人だよ」的な事を言わないからいいが、心証は良くないはず。


 食事が終わると張本さんは、下津浦を駅まで見送ろうと言った。

下津浦は「一旦マンションに戻って」と何度も言ったが、張本さんは無視して「はい、はい!お疲れさまです、頑張ってください」とベンチコートを背中から掛けると駅の改札口まで連れて行き、下津浦が渋々ICカードを出すまでその場を動かなかった。

「張本さん、良いんですか?下津浦のやつ、一応次期社長ですよ」

張本さんは真っ直ぐに前を見て言った。

「俺、近いうちに独立するから」

「独立ですか?」

「ああ。デザイナーの友人と2人でな」

そうか。ベトナムや中国、タイ、マレーシア、ミャンマーの仕入れルートを彼は熟知している。英語も堪能だし、ベトナム語にも精通しているという張本さんを失うのは会社にとっては大損害だ。

「へえ」

「まだ黙ってろよ」

ニカッと笑う張本さんはいつも自信に満ちている。

「はい」

「軌道に乗ったら、お前を呼ぶからな」

「えーっ!給料、安いのはご免ですからね。引き抜きなら今の倍は出してもらわないと!」

「あははっ。よしよし!任せておけ」

独立が本気なんだとわかった。張本さんは俺の背中をバンッと力強く打ち、「さっさと終わらせて帰るぞ」と背中を押した。

 帰り道に総務部のメンバーの分のたい焼きを買い、1つを張本さんに渡した。

「どうぞ。天丼、ご馳走さまでした」

「こういう所だよね。ボンボンに欠けてるのは」

「まあ、そうですね」

張本さんはたい焼きの頭からパクッと噛み付いた。

「熱っ・・・。それにしてもお前、よく我慢したな」

「えっ?」

「小耳に挟んだ」

「ああ。もういいんですけどね」

2年前のあの事。"小耳に挟んだ"どころか、当時勤務していた社員は全員知っているだろう。もちろん、張本さんもだ。

「下津浦のツラなんか見たくもないだろう?」

「いや、そこまでは」

「そうか?俺なら5、6発殴って川に捨てる」

「あははっ。死んじゃいますよ」

「憎くないのか?」

「憎い?そこまでは・・・。許せないのは、あいつが人のモノに手を出す行為を平気でやるところですよ。悪気がないんですよね。そこがまた、ね」

「そうか?悪気がない、とかお前も庇ってやらなくてもいいんだぞ?じゃあ、その時の彼女には未練はないのか?」

"彼女"か。

「ありませんよ。社長の息子とわかったらすぐに乗り換えるような"やつ"には興味はありませんよ」

「そうだよな。その程度の女ってことだな」

「ええ。その程度の"やつ"ですよ」

人のモノと知りながら誘ってしまう下津浦の軽薄さとか、「ごめん」の一言で済ませようという誠意の欠片も感じられない態度が許せなかったのだ。

しかも"やつ"には2ヶ月で飽きて、ポイと捨ててしまった下津浦。

人のモノが良く見えてしまって、それを欲しがるのは下津浦の欠点だ。

小さいながらも会社社長を父に持ち、何不自由なく甘やかされて育った男には、人の痛みは少々スパイスを入れ過ぎてしまった程度のレベルしかない。大切なものは下津浦の目に触れさせてはならない。

*****

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*翔太へ、「黒川さん、翔太のこと覚えてますか? 」さんへ。いや、覚えてますって!(笑)
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さやさやと流るるが如く・9







 スマホが震えている。机の端っこで小刻みに震えるスマホの画面を見なくても、誰だかわかっている。『江原商店』の見張りに行った下津浦だ。

駅で下津浦を見送った1時間後、北野さんが帰社した。北野さんは張本さんに、何度も「ありがとうございました!」と頭を下げて帰宅した。

その代わりに俺のスマホには下津浦から何度も着信があり、それを無視している俺と下津浦は根競べ中だ。何度もしつこく鳴るので、中谷さんが「これはパワハラだぞ」と言った。

着信以外にメッセージも何通も届いているようだが、一切開いていない。


「ちょっと電話してきます」

「はーい」

とうとう俺が根負けしたと思ったのか、中谷さんは気の毒そうに俺を見た。下津浦の名前が表示されるたびに、スマホケースの中の"彼"が汚されたような気がしてならなかったのだ。

給湯室に入ってスマホケースのポケットから紙ナプキンを取り出し、慎重にダイヤルする。間違えないように、慎重に。11桁全てを入力して、あとは通話ボタンをタップするだけ。

下津浦の攻撃が始まる前に電話しよう。

川浪さんがすでに"彼"を訪れて迷惑を掛けているかもしれない。母親の所へ行って迷惑を掛けているかもしれない。文句を言われるかもしれない・・・。

いや、それでも電話したい。

「よし」

これだけの決心をして電話する必要もなさそうだが、エイッと思い切って画面に触れた。

1回、2回、3回とコールが続く。

まだ仕事中だろうか。時間の指定は特になかった。出られない時間には出ないだけの事。ただそれだけだ、と自分に言い聞かせる。4回目がトゥルと鳴り、『はい』と声が聞こえた。

良かった、出てくれた。

「こんばんは。永瀬です」

『こんばんは。電話、遅かったね』

えっ?待っていたのか?ちょっと拗ねたようにも聞こえる"彼"の声。それを宥めるかのように、俺は優しく答えた。

「ごめん。何時に君の仕事が終わるかわからなかったから。遅い方がいいかと思ったんだよ」

『ふふっ。永瀬さんは、まだ仕事なの?』

「残業だよ」

『伯父の所為?』

「まあ、それもある」

『ごめーん』

ペロッと舌を出したのが見えたような気がした。茶目っ気のある声、心底悪いとは思っちゃいない。

「君の所為じゃない」

『当たり前だよ。僕はなにも悪い事はしていない』

電話の様子では、川浪さんは"彼"や母親に辿り付いてはいないようだ。母親が金を貸しているという事は、江原社長と母親は何らかの接触があったという事。ならばいずれはたどり着く。

「うちの会社の人間が来ていないか?」

『僕の所へは来ていないよ。母の所にもね、多分』

「そうか」

『母は祖父から勘当されてるからね』

「勘当?」

すでに親族との縁が切れている、という事か。それで"彼"の母親には辿り着かないのか。そのわりには江原一家が夜逃げしたのを知って"彼"が駆けつけたのは、今日。早かったよな。

『そう。そんな事はどうでもいいでしょう?明後日、僕はどこに行けばいいの?』

はぐらかされたが、この際どうでもいいな。

「ああ、そうだったね」

『楽しみにしてるよ』

彼が楽しみなのは"ラクレットチーズ"であって、"俺"ではない。自分にそう言い聞かせたが、自然と心は弾む。"通話終了"の文字に声の余韻を感じながら、こういう気持ちになったのはいつ以来だろうかと記憶を巡らせた。

その甘やかな余韻をぶった切るかのように、"下津浦明鷹"の名前が光りだす。

「うわっ」

俺は自分のスマホをバイキンでも扱うように指先で抓んで席まで運んだ。

「鳴ってるぞ」

俺の指先のスマホを指して、中谷さんが苦笑いする。

「お前、明鷹に電話したんじゃなかったのか?」

「違いますよ。おデートの約束」

「おっ!珍しいな」

「冗談ですよ」

椅子に座りスマホを机の隅に追いやると、中谷さんは「煩い」と笑った。

「これ、マジでパワハラですよ」

「あははっ。本人にそう言ってやれよ」

「えーっ!出るんですか?」

嫌な顔をして見せると、中谷さんも眉を寄せる。

「じゃあ、電源を切れ」

「それも負けた気がする」

「あははっ。そこで負けん気を発揮してどうするんだよ。仕事の邪魔だと言ってやれ」

下津浦の声を聞きたくない。微かに耳に残る"彼"の余韻が台無しになるじゃないか。

「煩いんでバイブも止めます。サイレントにしますよ」

「そうだな。しつこいよな、明鷹も。こんなに何度も掛けてきたら、さすがに何かあったかと思うからな。それ狙いか?」

「多分。でも本当に大事な用なら、会社に掛けてきますよ」

「そうだな」

「はい」

下津浦からの電話攻撃は俺が退社するまで続いた。


 23時過ぎにマンションに戻った。途中で買ったコンビニの袋をテーブルに置き、一息吐く。さすがの下津浦も諦めたのか、22時頃には電話は静かになった。メッセージは読んでいない。

テレビを点け、風呂のお湯張りボタンを押してコンビニの袋を開く。独身男の侘しい夜食はおでん。大根と玉子としらたきだ。辛子を容器の横に搾り出して割り箸を割った。

テーブルの上に置いたスマホが光りだした。サイレントにしていたので音はない。

「またかよ」

どうせ下津浦だと思って画面を見て驚いた。

「えっ」


噓だろ?

"彼"の番号だ。名前は登録していなかったが、確かに"彼"の番号だ。暗証してしまうくらい何度も見た番号。俺は箸を放り出してスマホを握り耳に当てた。


「はい」

『あっ』

「こんばんは」

『もう寝てた?』

「今、帰って来たんだ」

『そう!遅くまで、お疲れさま』

嬉しそうな声。

「どうも」

電話の向こうは静かだ。"彼"も自宅から電話しているのだろうか。

「君も家から?」

『そう。明日も同じ電車に乗るのかな、と思って』

「ああ、乗るよ」

『僕も。会えたらいいね』

「遅れるなよ」

何だ、この会話。ムズムズしてくるような会話に、満足している俺。

『ふふっ。じゃあ、おやすみなさい』

おいっ。それだけかよ?

「おやすみ」

プツッと電話は切られてしまった。

「何か他に話す事はなかったのかよ?」

顔を両手で覆った俺は、盛り上がるようなネタの一つも提供出来なかった自分を情けなく思った。この際、天気の話しでも良かったじゃないか。明日も重い冬用のコートを着なければならないくらいの気温なのか、とかさ。

「はあっ」

今からおでんを食うとか、明後日行く店を予約したよ、とか。"彼"には、会話が続かない、面白くない男と思われているに違いない。

「自己嫌悪」

まだ湯気を立てているおでんの大根を食べながら、"彼"の横顔を思い出している俺は結構、重症だ。

*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

あっという間に8月。一週間もしたらお盆ですよ。日高さん地方は台風8号の被害もなく、ホッとしております。今年はいくつやってくるやらwww

暑過ぎる夏ですが、皆さま方も体調を崩されませんように。投票所への楽しいコメントを楽しみにしております。皆さん、お忙しいのにありがとうございます♪

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さやさやと流るるが如く・10






 すっきりと目覚めた俺は、いつものように朝の準備を始めた。駅に行けば彼に会える。ただそれだけで、気持ちが湧き立つ。

 今朝のニュースでは「寒さは和らぎますが、朝夕はまだまだ冷えます。調節のきく服装でお出掛けください」と言った。朝夕は冷えるが、昼間は暖かい。コートは昨日のような冬物ではなくていいようだ。

期待を纏って身も心も軽やかに部屋を出た俺は、いつもの時間に駅に到着した。改札を抜ける直前に一旦後ろを振り返って"彼"の姿を探した。

"彼"はいない。

ゆっくりと階段を上り、ホームに立つがそこにも"彼"は見当たらない。『会えたらいいね』、と言われて勝手に舞い上がっている俺だが、弄ばれているような気がしてへこむ。

そもそも"彼"がご同類だと決まったわけじゃないし。

「はあっ」

列の最後尾に立ち電車を待っていると、後から来た人が俺の後ろに並んでいく。それが"彼"でないのが残念だ。階段の方を見ていると、階段を軽快に駆け上ってくる"彼"が見えた。

"彼"は俺を見つけると軽く微笑んだ。形の良い唇が動く。

「おはよう」

声には出さないが、確かに俺と目を合わせて「おはよう」と言った。

だが"彼"は急にその表情を引き締めると、俺が並んでいる列の一番後ろに並んだ。そして、キュッと唇を引き結んで真っ直ぐに前を見る。

その表情はよく出来た蝋人形のように硬く無機質な印象を与え、一切隙を見せない。それが"彼"が自分を守る為の鎧であると気が付き、俺も知らぬふりをした。

その後は電車に押し込まれ、会社まで運ばれていく。"彼"がどこで降りるのか、俺は知らない。

 
 駅から会社まで歩いて3、4分。

オフィスビルが立ち並ぶこのエリアは、朝のコンビニさえも混雑している。

せっかく会えたのに話しも出来なかったな。コンビニを出て袋をプラプラさせながら歩いていると、ポケットの中のスマホが震えだす。

もしかしたら"彼"かもしれない。

取り出したスマホには、期待どおり"彼"の番号だ。

「はい」

『僕』

「おはよう」

『おはよう。僕、一つ先なんだ』

「近いじゃないか?」

『まあね。じゃあ』

「・・・じゃあ」

俺が「じゃあ」という前にプッと電話が切れた。

「早っ。それだけかよ?」

思わずスマホに向かって文句を言ってしまったくらい短い会話だった。せっかちなのか?それとも用件が済めばそれでいい、という考えか?

どちらにせよ、俺はもうすぐ"彼"に飲み込まれるだろう。

 
 出社してインスタントコーヒーを淹れる為に給湯室に行った。

以前は当番の女性社員が出勤した社員一人一人にお茶やコーヒーを配っていたが、それは4年前に廃止になった。

今は総務部で一番に出社した者が電気ポットを沸かし、あとは各自で自分の好きな物を作って飲むシステムに変更になった。もちろん、社長が自分でやる事はないけどね。

 営業部は『江原商店』の件があってか動きが慌しい。今朝はいつもより早く出社している者が多いようだが、下津浦明鷹の姿はまだ見えない。

 給湯室に入った俺を見つけた北野さんが、すぐに追ってきた。

「おはよう、永瀬。昨日はありがとう。張本さんが電話してくれたおかげで家に帰れたよ」

新婚さんの北野さんは、「参ったよ」と苦笑いした。

「新婚さんなのに外泊なんて、奥さんに疑われちゃいますよね」

「そうなんだよ。参ったよ」

北野さんは頭を掻き掻き、渋い表情で「勘弁して欲しいよ」と呟く。

「大変でしたね。コーヒーでも飲みませんか?」

「ありがとう!もらうよ」

マグカップと紙コップにインスタントコーヒーの粉を入れ、電子ポットの湯を入れる。芳しいコーヒーの香りがふわりと立った。

中を軽くかき混ぜて、紙コップをホルダーに入れて北野さんに渡す。

「はい」

「ありがとう」

北野さんは冷蔵庫に寄り掛かって、その場でコーヒーを口にした。わざわざここまで来るって事は、俺に何か言いたいんだよな。

それに"彼"の事も気になる。

「どうかしましたか?」

「下津浦の事だけど」

困りきった顔だ。

「あれから俺にしつこく電話してきましたよ。あれって見張りを交代して欲しいって事ですかね?俺、出ませんでしたけど」

「多分そうだ。俺なんか、家に帰った途端に電話があってさ。見張りを代わって欲しいって言うんだ。もうビール飲んじゃったから無理、って断ったけど」

"次期社長"のお願いを断るのは、北野さんにとっては勇気がいっただろうな。結婚したばかりだし。

「断るのはなかなかの勇気が要りますね」

「だよな」

北野さんは断ったのはいいが、相手が相手だけに気になってしまったという。

「大体、北野さんの代わりに自分が行ったんだし。交代した人にまた代われって言うのはおかしいですよ」

「そうだろう!?困ったやつだよ、"次期社長"」

「俺は着信もメッセージも全てスルーしました」

張本さんみたいにすでに退社を決めた人は強気で接する事が出来るが、北野さんのように守らなければならない人が出来た人は違う。"次期社長"が気に入らなくても「はい」と言わざるを得ない時もある。

下津浦からの頼みを断ったはいいが、それを気にしなければならないのは辛いな。

俺も張本さんからお誘いがあったら、行っちゃおうかな・・・その方が気楽でいいだろうな。

「さすがだな、永瀬」

「北野さんも電話に出なきゃ良かったのに」

「うん、俺もそう思った。カバンの一番下に入れたままで寝た、とか言い訳すればよかったんだし」

「ですね。ところで川浪さんは?」

「川浪さんには部長がちゃんと食ってちゃんと寝ろ、って言って戻してくれた。社長からまだか、行方がわかるまで帰って来るなって、何度も電話があるんだぞ。可哀相だよ」

「吸ってもいい?」と北野さんは胸ポケットのタバコを叩いた。

「いいですよ」

換気扇をオンにすると、北野さんは換気扇の下に移動した。

「江原社長たちの行き先がわかるような情報がありましたか?」

と、俺は川浪さんが"彼"に行き着いたか探りを入れた。

「それがさ、複雑なんだよね。あの家」

「複雑?」

「ああ」

 江原社長には腹違いの弟がいる。異母弟は『江原』を名乗っていないが認知はされている。前社長が亡くなった時に遺言書を巡って揉めた経緯があり、江原社長とは絶縁状態だそうだ。異母弟にたどり着いた川浪さんは、剣もほろろに追い返されたという。

「仲は悪そうだから、逃亡先は知らないんじゃないですか?」

「もちろんだよ。それでさ、江原社長の親父さんというのが艶福家でさ。江原社長は最初の奥さんの子どもで、その奥さんとの間にもう一人弟がいる。二番目の奥さんには娘がいる」

「娘?」

「弟は暖簾分けして、立川で衣料品店を営んでいる。川浪さんがそこに行ったら、店先で追い返されたってさ。二番目の奥さんが生んだ娘は若い時に家出して行方不明だ。その娘が見つからないんで、前社長が亡くなった時に相続の手続きが大変だったんだってさ。その二番目の奥さんはすでに他界してる」

「その娘は見つかったんですか?」

「知らない。川浪さんは親戚の所で娘の事を聞いたが、連絡先はわからないらしい」

「そうですか」
 
「連絡が付いたとしても、その人が社長の居所を知っているわけがないと思うんだけどね」

「ですよね」

北野さんはタバコを揉み消し、コーヒーのお礼を言うと自分の席に戻っていった。

*****

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投票所の気になるコメントコーナー♪
*華恵ちゃんへ、「みんなが華恵ちゃんの魅力に気づいてないと思う 泣 」さんへ。もう少し早く追加されたら良かったかもですね。華恵ちゃんはお笑い担当ですからねえ。シリアスな雰囲気ではないですが、十分存在感のある人ですよ。
*ブラックボーイズへ、「ラ?マン日誌は発行されるんでしょうか?」さんへ。梅ちゃん続編ですか?
*猪俣さんへ、「彼氏できたら浮かれるかな?そんな猪俣さんを見たいな 」さんへ。猪俣は気になる子がいるだけで、張り切っちゃう人です。彼氏が出来たら、地に足がつかないのではないでしょうか?
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