枝野くんは店を閉めるまで事務所にいて、夜のまかないも俺たちと一緒に食った。店が忙しいから俺も猪俣さんも彼を完全に放置していたが、鶴橋さんに言ったような買いたい物はないようだった。嘘も方便ってやつか。
俺は時々、本社からのメールのチェックや電話の為に事務所に戻っていたが、枝野くんはその間ずっと大人しく本を読んでいた。ミステリーが大好きだという枝野くんは、靴を脱ぎソファーの隅で足を抱え込むようにして本を読んでいた。
ソファーの上で体操座りのような格好で膝を抱えて丸くなった枝野くんは、まるで幼い子どものように見えた。彼の生い立ちを聞いたからかな。子どもの頃もこんなふうにひっそりと本を読んでいたのだろうか。
「その体勢、辛くない?」
「すみません。靴、脱いじゃってました」
「大丈夫だよ」
枝野くんは「いつもこんな感じなんで」と言いながら、足を下ろし靴を履く。
「いいよ、君が楽ならそれで。ソファーに足を伸ばしても良いんだよ」
狭い事務所に置いてあるソファーは大きい物ではないが、枝野くんなら足を伸ばして横になれるだろう。
「へへっ」
照れ臭そうに耳の後ろを掻いた枝野くんは、本に栞を挟んでテーブルに置いた。文庫本に付けた布製のブックカバーには黄色いインコが並んでいる。栞の先端にも青いインコだ。
「本、好きなんだね」
「ええ。大人しくしてるのが僕の仕事みたいなもんでしたからね」
「えっ?」
「ほら、僕の母って男が変わる度に僕を連れて男の家に転がり込んでたんですよ。だから」
まあちゃんとは似たような境遇だな。まあちゃんは、母親が家に引っ張り込んだ男を全て「パパ」と呼んでいたと言っていた。まあちゃんを可愛がってくれた男もいたが、母親が仕事の出ている間にまあちゃんを叩いたり殴ったりする男もいて、「とにかく気に入られるようにするのが大変だった」と話していたな。そういうのが影響しているのか今でも要領の良いまあちゃんと、ソファーの隅で小さくなっている枝野くんの姿が重なって、彼が気の毒になってしまった。
「ふうん」
「母の実家は資産家で、母と僕の生活費は祖父母から援助を受けていたんです。だからお金には不自由しなかったんですけど、家には伯父夫婦がいましたからね。母は、伯父から小言を言われたりして居辛くなると出て行く、みたいな生活でしたから。僕はどこにいても大人しくしてないといけなかったんです。祖父が亡くなって、祖母が老人ホームに入ってからは援助も受けられなくなって。母は働かないと小遣いもないような状態になったんですけどね」
「それで、再婚?」
「そのようですよ。最近は伯父の伝手で、区役所の臨時雇いみたいな仕事をしていたらしいんですけど。僕はもう3年くらい会ってませんから、詳しい事はわかりません」
「そう」
母親に愛想を尽かせて、枝野くんが家を出て行ったってことなのかな。縁切り状態の母親の事を吐き出すような口調で話す枝野くんの、抱える闇は大きい。
枝野くんは、テーブルに置いた本を手に取った。栞を挟んでいたページを開き視線を本に移す。
「あっ、これ面白いですよ。福原店長も読んでみたら?僕、もうすぐ読み終わるんで貸してあげますよ」
「ああ、うん」
君の生い立ちの方がミステリーだよ、枝野くん。
店を閉めるまで事務所で大人しくしていた枝野くんと猪俣さんは仲良く帰って行った。
「変な子」
彼らと店の前で別れた俺は、地下駐車場で思わずそう呟いた。
店長を任されてまだ半月。《325》に集中したいから《SUZAKU》の手伝いには呼ばれない限りは行っていない。だが、今夜は家には帰らずに《SUZAKU》に向った。圭介さんの顔が見たくなったからだ。
今朝も同じベッドで目が覚めて、行ってきますのキスをしたんだけどね。
裏口の鍵を開け事務所に入ると、圭介さんは休憩中だった。
「テールー」
ソファーに足を投げ出して休憩していた圭介さんは、俺を見てニコリと笑った。事務所に微かに漂うタバコの香り。ベニちゃんもカンタさんもタバコは吸わないから、犯人は圭介さんだ。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
「タバコ」
「うん、吸った」
完全に開き直ってる。意志が弱いとかじゃない。完全にやる気がないだけ。その気になったら止められるはずなんだけど。まあ、いっか。
「どうした?」
「うん、ちょっと顔を見に来た」
そう言うと、圭介さんは嬉しそうに笑った。
「俺も会いたかった」
手招きする圭介さんに釣られるようにして、俺はゴロリと横になった圭介さんの足の辺りに座った。
圭介さんがゴソゴソと足を動かし俺が座る場所を広くしてくれたかと思うと、大きく足を広げて両足で俺の腰の辺りを挟み込んだ。
「捉まえた」
圭介さんは、もう放さないとばかりに、キュッと挟み込んだ足に力を入れる。
「捉まった」
急に寄ったから、何かあったのかと心配してくれているようだ。圭介さんは目を瞑り、コメカミの辺りを指で押した。
「店で何かあったの?」
「うん、何もないけど。枝野くんと猪俣さん、今夜、おデート」
「マジか」
「うん」
圭介さんは「ふうん」とだけ言った。特に驚いた様子もない。いつかそうなるだろうと予測は付いていたに違いない。
「良かったじゃん」
「うん、まあ」
『良かった』で良いんだ。
「気になるのか?」
「・・・なんて言うの?鶴橋さんがうちに研修にきたから、枝野くんが誘ったんだと思う。もしかしたらおデートはナシなのかもしれない。昨日、枝野くんと鶴橋さんとが一緒に帰ったって言ったでしょ?あれって、鶴橋さんを定食屋さんに案内して枝野くんは帰っちゃったんだって」
圭介さんは表情を変えずに、俺の腰を挟んで捉えている足の力を更に強めた。
「テルが気にする事じゃないだろ?仕事に集中しろ」
「・・・うん」
「あとは2人の問題」
「だね」
身体を起こした圭介さんが腕を伸ばした。肩まで伸びてきた手が俺を掴んで、勢いを付けて自分の方に引き寄せる。俺も抵抗する気はないから、そのまま圭介さんの身体の上に倒れ込んだ。
「どう?」
「なにが?」
「店長」
「うん・・・頑張ってるんだけど」
自分の思うようにはいかないのが現実だ。河崎店長から引き継いだ仕事の大半は、俺も手伝っていたからわかる。わからない事は猪俣さんに尋ねたり、《トリスタン》の大橋店長に尋ねたりしているが、一番難しいのは人間関係だ。
「売り上げとか、気にしてる?」
圭介さんの手が俺の頭を優しく撫でた。圭介さんの胸の音を聞きながら髪を弄られていると、眠気すら襲ってくる。シャツ越しに伝わってくる圭介さんの体温は、安定剤のように俺の身体に染みていく。
「うん、それも気になるけど。猪俣さんは本当に良い人なんだ。枝野くんに弄ばれてるような気がしてさ」
「猪俣は大人だから、弄ばれたりはしませんよ。それに猪俣だって本気かどうか疑わしい」
「でも」
「じゃ、枝野を切れ」
「無理」
「じゃ、気にするな」
そんな事を言われても・・・。
「枝野くんとまあちゃんって、似たような境遇だった。お母さんの恋人がコロコロ変わったんだってさ」
「でも、まあちゃんの方が素直だな」
「ああ、うん」
そこは環境の違いだと思う。まあちゃんの育った家庭はお世辞にも裕福とは言えなかったが、枝野くんの母親の実家は資産家だったという。「大人しくしていた」、とはいえ枝野くんにはまあちゃんように『良い子』を演じる必要はなかったんだと思う。
「俺は、あいつらの事はおいといて、テルには店に集中して欲しいんだけど」
圭介さんはの言う事は正しい。俺がやるべき事は、人の恋愛の見守りなんかじゃない。河崎店長と一緒に育んだ《ビストロ・325》を、大きく、大切に、花開かせる事。
「うん・・・わかってるけど」
「あっちへこっちへ目が行っちゃう、か」
「うん」
「そういうとこ、変わんないね」
「ごめん」
「あははっ、可愛い」
頭をギューッと抱え込んだ圭介さんは、俺の髪にキスすると「補給終わり」と言って俺の背中をポンッと叩いた。補給したのは俺の方だよ、圭介さん。
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不定期更新中にもかかわらず、ご訪問ありがとうございます!
GW真っ只中。9連休だぜ、イエーィって方。すみませんが日高の替わりに病院に行ってくれませんか(笑)右の肋骨の下のとこが痛いwwwついでに5月になりましたが日高の身体は冬仕様でして、分厚い脂肪が消えませんwww
日高千湖
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コメントありがとうございます!!
肋骨の下はどうやら十二指腸のようですwww検査しま~すwww前にも潰瘍出来てたので、それかも?って感じでーすwww
ご心配をお掛けしました(><)
枝野くんと鶴橋さん、まあ、おいおい。猪俣を心配してるテルですが、圭ちゃん的には店に集中してくれ!ですね。
圭ちゃんがいれば、テルも安心です。圭介は微妙な変化を見つけてヨシヨシしてくれるんですね~。いつもグダグダなくせに(笑)テルテルレーダーだけはいつもビンビンでーす。
日高家もコタツは健在ですよ~!梅雨寒もあるので、結構長い期間日高家のリビングに鎮座しているコタツさまなんですが、今年は気温差が激しいので、まだ片付けませんよ(笑)
ダイエットも頑張ります、ナントカしないと!!
aさまもGW楽しんでくださいね~♪拍手&コメントありがとうございました!