『夢見月夜曲』は日高千湖のオリジナルBL小説ブログです。

筒井筒~《天つ空なる》より

   筒井つの 井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざる間に


「重三郎さま、勉強時間はまだ終わってはおりません」

滝山家の家庭教師は、眼鏡の奥の優しい眼差しを隠しながら重三郎に手を出すように指示した。

三男の重三郎が兄たちのそれとは一回り小さな両の手の平を素直に先生の前に差し出すと、細い竹の指し棒がヒュンッと音を立てた。ピシッという小さな音と同時に、重三郎が「痛っ!」と声を上げる。

「だって・・・塀の向こうで芳人が待ってるんです!今日の分は夕方までに必ずいたしますから、先生!お願い致します!僕たち、明日には東京に帰るんですよ?芳人とはまたしばらく会えなくなるんですよ?」

重三郎は決められた勉強時間が終わるまで待ち切れなかった。隣に住む幼馴染の星崎芳人が、重三郎の勉強が終わるのを塀の向こうに座って待っているのだ。

 星崎芳人は東京の本宅を離れ、病気療養中の母と使用人と共に滝山家の別荘の隣の家に住んでいた。

芳人の母は前当主の妾だった人だ。芳人の母は日本人離れした顔立ちの美しい人で、武家の出だったが行儀見習いに上がった星崎家の前当主に見初められ、お手が付いたらしい。芳人もその母に似てなんとも愛らしい西洋人形のような容姿をしていた。花なら百合だと重三郎は思っていた。

「仕方がありませんね・・・。勉強に集中お出来にならないのなら、ここにいても無駄です。よろしいでしょう。では夕方5時までには必ずお戻り下さいませ」

「ありがとうございます、先生」

重三郎は丁寧に両手を付き頭を下げ、顔を上げたと同時に立ち上がると、縁側から「芳人!終わったよ!」と大声で叫んだ。塀の向こうから「はい!」と元気の良い子どもの声が響く。

重三郎はピョンと縁側から飛び降りて靴を履き、裏木戸の向こうで待っていた芳人を招き入れた。

「じゅうちゃん!」

「芳人!」

仲良く手を繋ぎ駆け出した2人を、別荘番のばあちゃんは庭の草むしりをしながら微笑ましく眺めた。二つの麦わら帽子の影はまだまだ短い。


「先生は重三郎に甘すぎるのではありませんか?」

重三郎の次兄・晃次郎が家庭教師に苦言を呈した。

だが長兄の太一郎は笑いながら、「重三郎の方がお前よりも優秀だからなあ!」と晃次郎の頭を小突く。面白くなさそうな晃次郎を余所目に、太一郎は微笑ましい思いで幼い2人の背中を見送った。


「じゅうちゃんたちは、明日東京に帰っちゃうんだね・・・」

いつも遊んでいる川原で石投げしている重三郎の後ろで、芳人が寂しそうに呟く。

「芳人も東京のお屋敷に住めるといいのにね!一緒に星望に通えるといいのに!そうしたら、もっとたくさん遊べるよ?」

「母さまがご病気だから・・・。お兄さまがお許しにならない」

「おばさまの病気が芳人に移りでもしたら一大事だから、なおの事ここから離れた方がいいんじゃないのかい?」

「お兄さまが・・・『良い』とはおっしゃらないよ。僕は妾腹だから・・・」

芳人は小さな声で「僕も東京のお屋敷に住みたい。じゅうちゃんと一緒の学校に通いたい」と続けた。

芳人の父は、芳人母子を屋敷の敷地内に作った一軒屋に住まわせていた。母とは親子程も歳の離れた当主の死後、母が結核に罹患しているのを理由に本妻腹の兄・武昭は、母と芳人に、「病気療養の為、箱根の別邸に移るよう」に命じた。

「そうだ!まだ夏休みだから、僕の父上に言って東京の家に芳人を招待するよ!ねっ!そうしたらあと何日か一緒にいられるよ、どうだい?」

「お兄さまがお許し下さるか・・・わからない」

「大丈夫だよ!父上と芳人の兄上は仲が良いんだから!よぉし!今すぐに戻って父上に電話をしよう!」

重三郎が伸ばした手をキュッと掴んで、2人は再び駆け出した。

 川原から堤防に通じる砂利道を一気に駆け上った。芳人は重三郎の白い開襟シャツの背中に遅れまいと必死で駆けた。

芳人は身体の大きな重三郎とは違って、背も低く線の細い子どもだった。重三郎は「父に電話でお願いする」という目標に突っ走って、芳人の身体能力が自分のそれには追い付かない事まで思い至らなかったのだ。

「あっ!」

足が縺れた芳人が派手に転ぶ。

「あっ!」

芳人が転んだ拍子に手を繋いでいた重三郎も後ろに引っ張られてバランスを失った。尻餅を付いた重三郎が慌てて振り返ると、芳人はカエルのように大の字になって砂利道に転がっていた。

「痛ったあ・・・芳人!ごめん!」

「痛い・・・」

痛みに顔を歪めて今にも泣き出しそうな芳人は、それでも重三郎の手を離さなかった。

「大丈夫かい?」

「痛いよう」

大きな瞳からポロリと涙が零れ、綺麗な顔がクシャリと歪む。重三郎は芳人と繋いだ手を離し、半ズボンのポケットからハンカチを取り出した。芳人の西洋人形のような白くて綺麗な顔の顎には石で打ったのか、少しばかり血が滲んでいた。

「ごめんね!」と、謝りながら芳人の顔を拭い、脇に手を入れて芳人の身体を起こして座らせた。

「痛いよお・・・ひっく、ひっ、ひっ」

惨めに転んだ自分の姿に、重三郎が呆れたのではないかと、芳人は悲しかったのだ。いつも追ってばかりの重三郎の背中に付いて行くのに一生懸命で、転びそうになる前に必ず発する「待って!」を言う前に転んでしまった。

「ごめんね、芳人!」

泣き出した芳人にオロオロしていた重三郎だったが、血の出ている芳人の手足の傷の具合を確認すると「砂利道だから傷口に砂が入っている。綺麗な水で洗わなくては」と言うと、背中を差し出した。

「おんぶしてあげる」

「うん・・・でも、じゅうちゃんのシャツ、汚れちゃう」

「大丈夫、こんなのばあちゃんに言えばすぐに綺麗にしてくれるから平気さ!さあ!」


《昭和30年・春》

 人の気配で目が覚めた。

「・・・芳人?」

「良いお顔をしてお休みでございましたよ」

「ばあちゃんか・・・そうか夢か・・・芳人の夢を見ていた」

懐かしそうに呟き、ばあちゃんに助けられて身体を起こすが、それすらも辛そうだ。

「どんな夢でございますか?」

重三郎はいつも枕元に置いてある芳人の写真を手に取り、芳人をそっと撫でた。


「小さい頃、僕の所為で芳人が転んで怪我をしてね・・・。川原からおんぶして帰って来たんだよ。ばあちゃんが手当てしてくれて、包帯だらけの芳人を裏木戸から送ったんだ。僕たちはまだ幼くて、あそこの木戸を抜ける時に屈まなくても通れたんだ。でも、中等部の晃次郎兄さんは屈まなくては通れない。だから『この木戸を屈まないと通れないくらい大きくなったら、きっと東京に戻れるよ』と言ったんだ。芳人は『じゃあ、大きくなったら、毎日東京で会えるね』と」

写真の芳人は二十歳のまま。ビスクドールのような顔立ちに笑みを浮かべて、軍服に剣を提げた重三郎の前に座った姿は、いつまでも変わらない。

「コホッ」

「覚えておりますよ。重三郎さまが芳人坊ちゃんを背負ってお戻りになって。『医者を呼べ』とおっしゃって・・・。ほほっ、家庭教師の先生と2人で傷を洗って手当てをしましたね。重三郎さまが『顔に傷が残ったらどうしよう』とお騒ぎになって」

「そうだったな、ははっ」

ばあちゃんも懐かしそうに話を続けた。

「太一郎さまが『傷が残ったら、お前の嫁にしなさい』と笑っておっしゃったのに、重三郎さまは『そうします』と真面目なお顔で、ほほほっ」

晃次郎は「馬鹿げた事を」と笑ったが、重三郎は真剣だった。大きくなったら絶対に芳人をお嫁さんにするのだ、と・・・。


 翌日、ばあちゃんと一緒に駅のホームまで見送りに来た芳人は、ポウッと汽笛を鳴らして汽車が動き始めると手を振りながら汽車を追い掛けた。

「じゅうちゃん!また、来てね!待ってるから!」

懸命に追い掛けるが、徐々に速度を増す汽車に芳人の足が適うわけがない。縺れた足は再び芳人を駅のホームに這い蹲らせた。

「あっ!」

それでも芳人は手を左右に振り続け「じゅうちゃん!じゅうちゃん!」と、泣きながら叫んでいた。

「芳人!大丈夫か!?」

重三郎も窓から身を乗り出して手を振り続け、やがて芳人はおろか駅舎さえも見えなくなった。

「一緒に東京に連れて行きたかったのに」

「仕方がないだろう!?星崎のご当主がダメだとおっしゃるのに、勝手に連れ出したり出来ない」

「でも・・・」

口を尖らせて不服を言う末弟を見ながら太一郎は、伊勢物語の『筒井筒』の話を思い出した。

「お前たちは『筒井筒』だな」

「えっ?つついづつ?伊勢物語の『筒井筒』ですか?」

「そうだよ。幼馴染の2人がやがて結ばれる話。僕は平安文学一の純愛物語だと思っているよ」

「うん!」

もう次の休みに箱根に行く事を考えているのであろう末弟が、数年後必ず思いを遂げるであろう事を太一郎は確信した。



「『筒井筒』か・・・」

「なんの事でございますか?」

「太一郎兄さんに『お前たちは筒井筒だな』と言われた事があったんだ。兄さんは『いずれ星望に進学するだろうから、その時は東京に戻れる』と言ったんだ。そのとおりになったけどね」


 戦後は箱根で療養生活を続けながら、仕事を続けていた重三郎が寝付くようになったのは1年程前からだ。

「もう、長くはありません」と医者が言ったとおり、治療を拒否した重三郎は少しずつ、少しずつ弱っていった。身を削るようにして重三郎の帰りを待っていた芳人の最期を看取ったばあちゃんは、今、重三郎の最期も看取ろうとしている。


「桜は、まだか?」

「もう、花芽が付いておりますよ。今年も綺麗でございましょうねえ」

「ああ・・・僕と芳人の桜だ、綺麗に決まってる」

この年の桜は一際見事で、桜吹雪は重三郎を見送るが如く惜しげもなく散った。


   くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき


*****

ご訪問ありがとうございます!ごゆっくりお過ごしくださいませ!

《天つ空なる》の重三郎さんと芳人さんのSSでした。

ずっと温めていた《天つ空なる》というお話ですが、管理人は気に入ってまして(笑) 

長男・太一郎が信吾の「じいちゃん」、次男・晃次郎が「空行く月のめぐり逢うまで」に出て来た滝山隆久の父で、志穂の祖父になります。

今回、伊勢物語の二十三段『筒井筒』を日高風にアレンジしてみました←おい!

以下、『筒井筒』のザッとし過ぎたあらすじです。知ってる方はすっ飛ばして下さい!

『筒井筒』は中学・高校の古典の授業でも使われるのでご存知の方も多いかと・・・。

「筒井つ」は昔の井戸の周りの柵みたいなもんです。幼い男女2人が「この筒井つより大きくなったら結婚しようね!」と約束します。
元服した男は『筒井つの井筒にかけしまろがたけ 過ぎけらしな妹見ざる間に(筒井つよりも大きくなったよ。恋しいあなた(妹)に逢わないうちに)』と女に妻問い(結婚の申し込み)をします。女は『くらべこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき(あなたと比べっこした髪もとうに肩を越しました。あなた以外に誰に髪を上げてもらうでしょう)』と返事をします。『あぐ』は髪を上げる=女子の裳着(成人の儀式)の事です。
この頃は通い婚ですから、男は女の家に通ってくるわけです。『あぐ』は「家に入れる」という意味も掛けてますね。

めでたく2人は結ばれましたが、いつしか男は「高安の女」という他の女性と関係を持ってしまいます。男はしばらく浮気相手に夢中で「筒井つの女」とはご無沙汰だったんですが、久しぶりに「筒井つの女」の元を訪れて「ああ、やっぱりこの女を一番愛している」と気付き、「高安の女」には見向きもしなくなるのです。あちこちに女がいて当たり前の平安の世に純愛を貫いた2人(というか貫いたのは「筒井つの女」だ)。浮気には目を瞑って「戻ってくるなら、許しちゃいますわ!」っていう、「筒井つの女」はエライ!!と日高は思った次第です。

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コメント
ありがとうございます♡
私の大好きな「重三郎と芳人」
今朝思いがけず二人に逢えて胸がいっぱいです。
この二人の物語は涙なしには読めません。
離ればなれになろうとも一途に想い合う二人の純愛に、心が洗われるようです。
いつもありがとうございます♡
2018/02/28(水) 07:19 | URL | しずな #Bqlxldsc[ 編集]
Re: しずなさま~こちらこそ、ありがとうございます!
しずなさま、こちらこそありがとうございます!!

> 私の大好きな「重三郎と芳人」

大好きと言って頂けて嬉しいです~♪本当にありがとうございます!!旧ブログからこちらへ移しました作品です。

> 今朝思いがけず二人に逢えて胸がいっぱいです。
> この二人の物語は涙なしには読めません。
> 離ればなれになろうとも一途に想い合う二人の純愛に、心が洗われるようです。
> いつもありがとうございます♡

悲しいお話でしたが、「好き」と言って頂けてありがたいです。戦時中のお話しで、これをUPしている時はそれ程の反響もなく、という感じだったんですが、いまだに皆さまに読んで頂けております。

更新が止まっておりますのに、ご訪問くださってありがとうございます!!

明日からは平常更新に戻ります。また遊びに来てくださいませね!コメントありがとうございました!
2018/02/28(水) 09:17 | URL | 日高千湖 #-[ 編集]
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