「はあっ」
屋上まで上りきった廉慈さんは鍵を開ける僕の後ろで、腰を曲げ膝に手を付いて大きく肩で息をしていた。
「はっ・・・はあっ」
新しく付け替えられた南京錠を開け、金属製の扉を開くと懐かしい景色が広がっていた。
「久し振りだ」
「懐かしい」とは言っても以前よりも柵が高く丈夫になっていたから、僕が覚えていた景色とは多少は違う。
「はあっ・・・全く。俺の体力をなめんじゃないよ?基本的に営業の移動は車なんだからな」
「あははっ」
廉慈さんは「膝が笑ってる」と言いながら給水タンクの横に座って、ペットボトルの中に残っていた水を全て飲み干した。
「はっ・・・水、もう一本買っておけばよかったな」
「僕、買ってきましょうか?」
「いや、いい。ここでたっぷりと休憩してから降りるよ」
以前は柵にもたれて眺める事が出来たけど、今は柵も高くなった。僕はしがみ付くようにして柵の間から景色を眺めた。あの頃とは大した違いはないが、視界にはなかったはずのビルが建っていた。
地上の喧騒が聞こえてくる。誰かの声。大きな声で叫んでいる男の声。キャッキャッと騒ぐ若い声。車のクラクション、店から漏れてくる音楽。それらは全て、この界隈で生きる人々の証のようなものだ。
「それで?ここには何があるの?」
「何もないけど・・・。僕、家永さんと出会う前はここで始発を待ってたんですよ」
「ここで?」
「ええ」
廉慈さんが立ち上がって、僕の隣に立った。高層ビルの瞬きを見ながら、肩で息をしている。
「じゃあ、ここが2人の出会いの場所なのか?」
「そうです」
今でも誰かが見ているのだろうか?屋上の隅に取り付けられた監視カメラは回っているはずだ。僕は監視カメラに目を向けた。その先に家永さんの視線がある事には気が付かずに、僕はここで気儘に時間を潰していたのだ。
「僕、さっきの居酒屋の先にあるボーイズバーでアルバイトをしていたんですよ」
「ボーイズバー?」
廉慈さんはとても意外そうな顔をした。
「ええ。僕の髪、前は茶髪だったでしょう?」
「ああ・・・そういえばそうだったな。本人の雰囲気とは全く違う髪色だったね」
「『ひいらぎ書店』では黒とかグレーとか地味な色の服しか着なかったけど、バーでは派手な色の服を着てましたよ」
「夜の仕事と『ひいらぎ書店』のダブルワークだったのか。意外だな」
「そうですか?」
「うん。真面目にスーパーでレジでも打ってそうだしね」
「それもやった事ありますよ。僕、『ひいらぎ書店』に決まるまでコンビニやスーパーでも働いてましたよ。でもね、必ず『秀藤出てるのに』と言われるんです」
コンプレックスの塊だった僕は、履歴書に『秀藤学院』という文字を書きたくもなかった。今考えてみれば、そこに嘘を書いてしまえばよかったんだよな。
「その気持ちはなんとなくわかるな。でもさ、どこの学校にも落ちこぼれは発生するんだよ。進学校であればあるほど、それを救済する策はないんだ。受験勉強を頑張って燃え尽きてしまった、ってヤツもいるしね。俺の同級生にも、何人かいるぞ。消息不明なヤツ」
「僕はその中の一人ですよ。同窓会にも行かないし、同級生を見かけたら逃げます」
「あははっ。もう、逃げなくてもいいだろ?」
「・・・そうですね」
「胸を張っていいんじゃないか?」
「はい」
逆に励まされてしまって不甲斐無かった僕は、《ピタゴラス》のある方角に目を向けた。
「ボーイズバーで働き始めたのは両親への反抗心からでした。一応、家には毎月3万円と今まで掛かった学資を返せと言われましたからその分を少しずつ入れてたんですけど。ボーイズバーなら週3回の勤務で『ひいらぎ書店』の倍くらいもらえてましたからね」
廉慈さんはニヤッと笑って親指と人差し指で丸を作ってみせた。
「儲かったな」
「まあ」
「モテただろ?」
「そこそこ」
指名客もそれなりにいたし、《ピタゴラス》では「綺麗だね」と声を掛けられて俯かずにいられる事が嬉しかったのだ。
「その手のオトコが客なのか?」
「ええ」
「ふうん・・・意外だったな。航くんがねえ・・・」
「平木さんや敦子さんには内緒ですよ?」
「弱味、握っちゃったな!」
「もう」
「あははっ」
廉慈さんは柵に寄りかかり、空になったペットボトルで自分の膝をポンポンと叩いた。
「俺さ、真剣に恋愛した事がないんだよね」
「別れた彼女とは結婚まで話が進んでたんでしょう?」
「ああ。結婚するのは誰でも良かったんだよ。『蘭雅』の跡取りを産んでくれる女ならね」
「・・・それって、彼女に失礼じゃないですか?」
「そうなんです。だから逃げられたんです」
今度はペットボトルで自分の頭をポコッと叩き、廉慈さんは舌を出した。
「・・・自業自得」
「言うな」
廉慈さんのペットボトルが、パコッと軽い音を立てて僕の頭にヒットした。
「大学時代に軽いノリでオトコとヤった事があるって言っただろ?考えてみたらさ、その相手が一番好きだった気がするんだよな」
廉慈さんは天を振り仰いだ。僕も同じように見上げると、小さな星が光るのが見えた。
「どうして別れたんですか?」
「そいつがゲイだと、学内で噂になったんだ。俺は怖かった。巻き込まれたくなかったからな」
「・・・」
「俺は庇う事もしなかったんだよ。大学で会うと、彼が遠くから俺を見るんだ。まるで声を掛けてくれ、助けてくれ、と言ってるようだった。でも俺は、その視線には気が付かなかった事にしたんだ。彼とは卒業以来会ってないけど・・・俺は後悔しているんだ」
彼に声を掛ければ、自分も「ゲイだ」と噂されてしまう。それが怖かったのか。
「だから堂々と公表している家永さんが羨ましいんですか?」
「まあ・・・それもある。思いだしたって言うか・・・」
「彼とはもう会えないんですか?」
「今更、会ってどうするんだよ。彼は卒業後、地元に戻って就職した。その後、アパレル関係の会社を起業したそうだ。それなりに成功している彼に会ってどうしろというんだ?」
「連絡してみたら?」
「しませんよ。あの頃の俺は、彼にはこれっぽっちの愛情も感じてなかったんだからな。彼を庇ってやらなかったのは後悔してる。だが、正義の味方ぶってしゃしゃり出ていけば、彼は余計に注目されるだけだ。俺は二次被害」
ただの好奇心、と無視してしまった事への同情なのかな。
「彼を失ってから気持ちに気が付いたの?」
「違う」
「でも、彼の事が一番好きだったかもって、さっきは言いましたよね」
「だから!言っただろ?俺は真剣に誰かを愛した事はないんだよ」
「どうしてですか?」
「俺は自由に結婚相手を選べないと、思っていたから」
「そう言われたんですか?」
「いや」
周囲の声を常に聞いて育ったんだね。
僕と同じだね。
「こうあるべき」という声に浸潤されて、身動きが取れなかったんだね。
それでも廉慈さんは「『蘭雅』の若旦那」を捨てはしない。捨てられない。
「俺が家出したくなった本当の理由、わかんないだろう?」
わかるようでわからない。廉慈さんは静かに微笑んで、天に向かって手を伸ばした。
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