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『夢見月夜曲』は日高千湖のオリジナルBL小説ブログです。

さやさやと流るるが如く・9







 スマホが震えている。机の端っこで小刻みに震えるスマホの画面を見なくても、誰だかわかっている。『江原商店』の見張りに行った下津浦だ。

駅で下津浦を見送った1時間後、北野さんが帰社した。北野さんは張本さんに、何度も「ありがとうございました!」と頭を下げて帰宅した。

その代わりに俺のスマホには下津浦から何度も着信があり、それを無視している俺と下津浦は根競べ中だ。何度もしつこく鳴るので、中谷さんが「これはパワハラだぞ」と言った。

着信以外にメッセージも何通も届いているようだが、一切開いていない。


「ちょっと電話してきます」

「はーい」

とうとう俺が根負けしたと思ったのか、中谷さんは気の毒そうに俺を見た。下津浦の名前が表示されるたびに、スマホケースの中の"彼"が汚されたような気がしてならなかったのだ。

給湯室に入ってスマホケースのポケットから紙ナプキンを取り出し、慎重にダイヤルする。間違えないように、慎重に。11桁全てを入力して、あとは通話ボタンをタップするだけ。

下津浦の攻撃が始まる前に電話しよう。

川浪さんがすでに"彼"を訪れて迷惑を掛けているかもしれない。母親の所へ行って迷惑を掛けているかもしれない。文句を言われるかもしれない・・・。

いや、それでも電話したい。

「よし」

これだけの決心をして電話する必要もなさそうだが、エイッと思い切って画面に触れた。

1回、2回、3回とコールが続く。

まだ仕事中だろうか。時間の指定は特になかった。出られない時間には出ないだけの事。ただそれだけだ、と自分に言い聞かせる。4回目がトゥルと鳴り、『はい』と声が聞こえた。

良かった、出てくれた。

「こんばんは。永瀬です」

『こんばんは。電話、遅かったね』

えっ?待っていたのか?ちょっと拗ねたようにも聞こえる"彼"の声。それを宥めるかのように、俺は優しく答えた。

「ごめん。何時に君の仕事が終わるかわからなかったから。遅い方がいいかと思ったんだよ」

『ふふっ。永瀬さんは、まだ仕事なの?』

「残業だよ」

『伯父の所為?』

「まあ、それもある」

『ごめーん』

ペロッと舌を出したのが見えたような気がした。茶目っ気のある声、心底悪いとは思っちゃいない。

「君の所為じゃない」

『当たり前だよ。僕はなにも悪い事はしていない』

電話の様子では、川浪さんは"彼"や母親に辿り付いてはいないようだ。母親が金を貸しているという事は、江原社長と母親は何らかの接触があったという事。ならばいずれはたどり着く。

「うちの会社の人間が来ていないか?」

『僕の所へは来ていないよ。母の所にもね、多分』

「そうか」

『母は祖父から勘当されてるからね』

「勘当?」

すでに親族との縁が切れている、という事か。それで"彼"の母親には辿り着かないのか。そのわりには江原一家が夜逃げしたのを知って"彼"が駆けつけたのは、今日。早かったよな。

『そう。そんな事はどうでもいいでしょう?明後日、僕はどこに行けばいいの?』

はぐらかされたが、この際どうでもいいな。

「ああ、そうだったね」

『楽しみにしてるよ』

彼が楽しみなのは"ラクレットチーズ"であって、"俺"ではない。自分にそう言い聞かせたが、自然と心は弾む。"通話終了"の文字に声の余韻を感じながら、こういう気持ちになったのはいつ以来だろうかと記憶を巡らせた。

その甘やかな余韻をぶった切るかのように、"下津浦明鷹"の名前が光りだす。

「うわっ」

俺は自分のスマホをバイキンでも扱うように指先で抓んで席まで運んだ。

「鳴ってるぞ」

俺の指先のスマホを指して、中谷さんが苦笑いする。

「お前、明鷹に電話したんじゃなかったのか?」

「違いますよ。おデートの約束」

「おっ!珍しいな」

「冗談ですよ」

椅子に座りスマホを机の隅に追いやると、中谷さんは「煩い」と笑った。

「これ、マジでパワハラですよ」

「あははっ。本人にそう言ってやれよ」

「えーっ!出るんですか?」

嫌な顔をして見せると、中谷さんも眉を寄せる。

「じゃあ、電源を切れ」

「それも負けた気がする」

「あははっ。そこで負けん気を発揮してどうするんだよ。仕事の邪魔だと言ってやれ」

下津浦の声を聞きたくない。微かに耳に残る"彼"の余韻が台無しになるじゃないか。

「煩いんでバイブも止めます。サイレントにしますよ」

「そうだな。しつこいよな、明鷹も。こんなに何度も掛けてきたら、さすがに何かあったかと思うからな。それ狙いか?」

「多分。でも本当に大事な用なら、会社に掛けてきますよ」

「そうだな」

「はい」

下津浦からの電話攻撃は俺が退社するまで続いた。


 23時過ぎにマンションに戻った。途中で買ったコンビニの袋をテーブルに置き、一息吐く。さすがの下津浦も諦めたのか、22時頃には電話は静かになった。メッセージは読んでいない。

テレビを点け、風呂のお湯張りボタンを押してコンビニの袋を開く。独身男の侘しい夜食はおでん。大根と玉子としらたきだ。辛子を容器の横に搾り出して割り箸を割った。

テーブルの上に置いたスマホが光りだした。サイレントにしていたので音はない。

「またかよ」

どうせ下津浦だと思って画面を見て驚いた。

「えっ」


噓だろ?

"彼"の番号だ。名前は登録していなかったが、確かに"彼"の番号だ。暗証してしまうくらい何度も見た番号。俺は箸を放り出してスマホを握り耳に当てた。


「はい」

『あっ』

「こんばんは」

『もう寝てた?』

「今、帰って来たんだ」

『そう!遅くまで、お疲れさま』

嬉しそうな声。

「どうも」

電話の向こうは静かだ。"彼"も自宅から電話しているのだろうか。

「君も家から?」

『そう。明日も同じ電車に乗るのかな、と思って』

「ああ、乗るよ」

『僕も。会えたらいいね』

「遅れるなよ」

何だ、この会話。ムズムズしてくるような会話に、満足している俺。

『ふふっ。じゃあ、おやすみなさい』

おいっ。それだけかよ?

「おやすみ」

プツッと電話は切られてしまった。

「何か他に話す事はなかったのかよ?」

顔を両手で覆った俺は、盛り上がるようなネタの一つも提供出来なかった自分を情けなく思った。この際、天気の話しでも良かったじゃないか。明日も重い冬用のコートを着なければならないくらいの気温なのか、とかさ。

「はあっ」

今からおでんを食うとか、明後日行く店を予約したよ、とか。"彼"には、会話が続かない、面白くない男と思われているに違いない。

「自己嫌悪」

まだ湯気を立てているおでんの大根を食べながら、"彼"の横顔を思い出している俺は結構、重症だ。

*****

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