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『夢見月夜曲』は日高千湖のオリジナルBL小説ブログです。

合縁奇縁・30

「はい、これ。美味いよ、甘えびの塩辛。頂き物だけど」

先生は瓶ごと僕の前に置いた。

「ありがとうございます」

渡された箸で瓶の中の甘えびを小皿に移し、先生にも一皿渡した。

「ありがとう」

「いいえ」

「なあ、どうして困るわけ?」

僕が困るわけを困っている僕から聞きたいのか。

「・・・今まで、こういう事がなかったからです」

ええ、面白味のない人間ですよ。どうせ!

それは先生の所為ではないのだが、無性に腹立たしくなってビールを飲んだ。苦味が口一杯に広がって喉を通っていく。一口くらいでは冷めていた酔いが戻るわけでもない。

僕は甘えびを口に運んだ。上品な甘さで甘えびが口の中でプリプリと弾ける。

「美味しい」

「どうして?」

「どうして、って」

プライベートに土足で入ってこられたような気がして、イラっとした。

「恋人もいませんし!」

語気を強める必要もないのに、半ばヤケクソだ。

「それはラッキーだ」

「ラッキー?」

恋人がいない寂しい人生のどこがラッキーなんだよ。

山下常務の充実した顔を覚えていないのか?橋本専務の艶やかな頬を見ていなかったのか?ベニちゃんの底抜けに明るい笑顔を見なかったのか?

寂しい独り身の僕だけがくすんで見えただろうが!

「怒った顔も可愛いね」

不愉快極まりない。

「はあ?」

「飲んで、飲んで」

これだけ拒否反応を示しているのに、彼には分らないと見える。

怒った顔が可愛いだと?"可愛い"とかこの何年も言われた事はないんだよ、生憎と。

「飲みますよ」

缶ビールを飲み干したって平気だ。僕はそう思い込んでいた。1本くらいならね。

喉を反らせて、ビールのCMのようにグビグビと音を立てて飲んだ。胃の中がビールで満たされていく。ビール特有の苦味は、僕の人生の苦味そのものだ。

「どうして僕の写真を撮ったんですか?」

まだ半分くらいビールが残っている缶を、テーブルにバンと音を立てて置いた。わざとだ、わざと。

「撮りたかったから」

「山下常務を撮っておられたじゃないですか?」

「うん、綺麗な人だからね」

「じゃあ、僕を写さなくてもいいんじゃないですか?」

「怒ってるの?勝手に撮ったから?」

「そうではなくて」

そう。

そうではなくて・・・僕は期待しているのだ。僅かな期待している自分がバカらしい。期待なんかするもんじゃない。どうせ泡のように弾けてしまうのだ。

「撮りたかったからに決まってるじゃないか。稲村さんを撮影したかったんだ」

はあ?この人が言っている内容が全く入ってこないんですけど?

「だから、どうしてって聞いてるんですよ」

「切欠が欲しかったんですよ。あなたを誘う切欠が」

「そんなもの、なくてもあなたは本社に来るじゃないですか?」

「なくても行きますよ。当たり前じゃないですか」

「どうして」

「どうしてが必要なら教えてあげる」

清家先生は喉を反らして缶ビールを飲み干した。そして缶をテーブルに叩き付けるようにして置いた。

「俺は《花信風》でお会いして以来、ずっとあなたの事が気になっていたんですよ。もっと話をしてみたかった。それが理由ですよ」

「僕と話しをしてみたかった?はあ?」

「そう。ここまで言ってもわかんないの?」

先生は怒ったように立ち上がった。冷蔵庫から缶ビールを2本持ってきて、1本を僕の前に置いた。ドンと重い音がするくらい乱暴に置かれた缶ビールを見ながら、僕は清家先生の言った事を今一つ理解出来ないでいる。

「僕は・・・橋本専務がおっしゃっていたとおり、家と会社を往復してコンビニの弁当を食ってるだけの面白味のない人間です。話しても面白くないでしょう?明日からは山下常務を誘うと良い。彼ならあなたを楽しませてくれますよ」

「山下常務か。美人だよね」

「ええ、お綺麗です」

「でも俺は好みじゃない」

「はあ?」

山下常務を好みじゃない?そんな事を言うオトコは初めてですよ。山下常務は誰からも愛され、『S-five』の顧客からも人気が高い。来店した常連客の誰もが、彼を呼びたがると言うのに?

「山下常務を素晴らしい被写体です、とか何とか言って写真を撮っていたじゃないですか?」

「それは口実ですよ。あなたを隠し撮りする為のね」

清家先生は2本目のビールを開けた。僕も負けじと1本目を空にして、2本目を手にした。

「はあ?」

何だって?

「あの人の方がついでなの!わからないかな?俺が撮りたかったのは稲村さんだよ。直接言うと断られそうだったから山下常務に頼んだんだよ!」

「そんなの・・・」

わかるはずがないじゃないか。

「わかれよ?」

「わかれよ?」と言われてもわかるわけがないじゃないか。

プルタブを引き上げて、頭を整理していく。これじゃまるで彼が僕に好意を持っているかの口ぶりじゃないか?

「直接言ってくだされば・・・」

わかったのですが・・・。

「OKしたか?」

「それは・・・」

私など被写体には向きませんよ、と言っただろうな。多分、「私は慣れておりませんので、山下常務の方がよろしいでしょう」とお断りしただろう。

ああ、先生の言うとおりだ。

僕はあの時、被写体に選ばれなかった事をひがんでいた。だが、実際に被写体になってくれと言われていたら、自信がない僕はお断りしただろう。

「お堅そうだし」

「・・・その」

僕を見つめる眼差しに籠った熱いものを感じ取って、僕の心はジワリと動く。だが出会って幾日かの清家先生の言葉など、易々と信じてはならない。

僕は信じない。

「稲村さん?」

「はい」

「飲みましょうよ」

「飲みますよ」

「乾杯」

「今頃ですか」

「ええ」

怒ったのかな?

あまりの鈍さに呆れたのかもしれない。まあ、それならそれでいい。僕は彼の事を好きにはならない。いや、誰の事も好きじゃないし、これからも好きにはならない。

缶ビールと缶ビールを合わせる鈍い音は僕の重い心の音のようだ。

*****

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